山田線
岩手県内で完結する鉄道路線で、今は盛岡駅と宮古駅を結ぶ。2011年の震災前は、宮古からさらに三陸海岸沿いを南下し、線名の由来である山田町を経由して釜石まで向かっていた。
この区間は津波被害ののち、紆余曲折あり三陸鉄道として復活することになった。したがって、今のJR山田線としては、北上高地を横断する部分だけが残っている。
しかしこの山田線、並行するバス路線が強すぎる故に、ぼちぼち存続が怪しい感じがある。山田線は全線を走るのが1日4本だが、バスの方は40分くらい早くて1日12本もある。(2022年7月/土休日は10本)
まだ公式には存廃議論のような素振りはないが、少し前にJR東日本が収支公表した閑散区間のPDFにはガッツリ名前が乗っていて、嗚呼…まあそうだよな。まあ、JR東日本のローカル線はほとんど全部名前が乗っていたかのだけれど。
さて、そんな山田線に乗りに来た。
新幹線との接続はかなり良く、1109発の「快速リアス」3637Dは、東北新幹線はやぶさ9号(8時40分東京発→10時55分盛岡着)から乗り換えができる。ただしこの新幹線は22年春改正で臨時列車化されてしまったので、日によっては走らない。
私はもうすこし余裕がほしいと、1本前のはやぶさ7号に乗って、10時30分に盛岡につく。
盛岡駅は新幹線改札内にはたくさんのお土産屋・駅弁屋があり、ニューデイズもある。
一方で、在来線改札内には売店もなく、自販機くらいでとても簡素。
山田線には2時間半くらい乗るし、なんか、食べておこうかな、と思っていたのだけれど、うっかり買いそびれてしまう。在来線側、こんなにも寂しいとは…。
車両:キハ110系と車内の雰囲気
快速リアス号は一番駅舎側のホームに止まっている。なんと1両編成だ。
「愛称付き」の「快速列車」で「単行列車」だけど「車掌乗務」と、ひとつひとつの要素はわかるが、まとめてしまうと結構珍妙な気がしてくる。
車両はキハ110形。JR東日本のローカル線ではよく見かける。登場がバブル期だからか、作りがしっかりしていて、どことなく高級感のある車両だと勝手に思っている。
それなりに新しいイメージがあったけれど、東北や信越の国鉄型キハ40系気動車が(観光列車を除いて)すべて引退してしまった現在、実はJR東日本最古参の気動車だとさっき気づいた。
車内には既に、わりと人が乗り込んでいる。進行方向右側の2人
ボックスシートは埋まってしまっていたので、左側にある4人
ボックスシートにひとりで座る。
みんな旅行客だろうか、後ろのボックスですでに盛り上がってる人、キャリーバッグをもった男女二人組。僕と同じ一人旅と思しき人は時刻表を手繰っている。
日常利用というよりは、旅の雰囲気を強く感じる人ばかりだ。
盛岡市内の区間ですらかなり本数が少ないし、おまけに快速で駅を随分飛ばす。時間帯もあって地元客というのは少ないのかもしれない。
そういえば、観光客の便を図るため、車内にはミニテーブルがついている、という話があったのだけれどそういうものは見当たらない。感染症対策で撤去されてしまったのだろうか?まあ、お弁当買いそびれたのであまり影響はないけど。
盛岡→上米内
時刻表通り、11時09分に発車。
結局このときに乗っていたのは20人弱で、ほとんどの人が宮古まで乗り通した。
新幹線やIGR線なんかと分かれて、盛岡市内を進む。1日数本の路線でも、しっかりと踏切なんかは整備されている。(それはそうか)
上盛岡、山岸と駅に停車する。この辺はまだまだ市街地で、上盛岡なんかは隣にマンションやロードサイドショップあるし、山岸は住宅街だし、で、案外本数を増やせば市内
区間は利用があるのでは…?と一瞬思い始めたところでローカルゾーンに突入する。もう緑しか見えなくなる。
盛岡〜上米内間は一時期社会実験として増発もしていたらしいのたけれど、あまり利用は伸びなかったらしい。バスや自家用車がやはり優勢なのだろう。
一方で、やはりせっかくの市街地…となれば、山岸の少し先までは
LRTにできないか?と活動している市民団体もあるようだ。一応、現状でも盛岡〜上米内間は
区間列車が2本ほどある。
緑のなかを走り、上米内につく。ここは交換可能な2面2線駅で、しばらくとまって
宮古からやってきた盛岡行とゆきちがう。あちらは2両編成だった。
上米内→区界
上米内から先、25.7km先の隣駅・区界まではもう、なにもない。
なにもないという言い方も変だけれど、実際なにもないのだ。山岸~上米内間だってまだまだ拓けていたなという気分になる。
この間にあった大志田と浅岸の2駅は2016年に廃止されてしまった。利用がほぼ無い上に、下手に開設しておくと利用者がクマに襲われかねず、危険だったとか…。
ただただ緑の中を進む。この区間は車掌さんが運転席の横に立ち、前方をずっと注視している。駅がないので旅客対応の必要もないし、このほうが非常時の対応に都合がよいのかもしれない。あるいは、鹿とかが出るのでその見張りだろうか?
暇つぶしに
スマホを見ようにも電波が立たない。106特急バスは
wifi完備らしく、本数や所要時間以外の面にも格差を感じてしまう。
GPSは入るので、読み込みが半端で解像しない
Google Mapを見ながら今どのあたりだろうか、と見当をつけながら過ごす。
大志田・浅岸の両駅跡はいまでも保線の拠点となっているのだろうか、建物がいくつかあり、道も見える。ただそれ以外にはなにもない。
ただ、駅跡地の近くでは電波が入るため、ここが駅であったことを感じることはできた。そういえば、ドコモは駅での通信環境はどんなローカル線であろうと整備していたな。今でも鉄道の管理のために、きっと必要なのだろう。
ここからは、
閉伊川に沿って
宮古まで下っていく。川沿いということで、上米内〜区境間と比べても建物や畑も明らかに多く、駅もいくつがある。ただ、快速は区界を通過して、そのまま
陸中川井までは止まらない。
沿線で目立つのは白く真新しい高速道路。
国道106号のバイパスとして、そして震災からの復興道路として整備された
地域高規格道路「盛岡
宮古横断道路」である。山田線と競合する106バスも特急便はあちらを経由する。
引導を渡す、という言葉が頭をよぎる。
平津戸駅は全列車が通過する、というなかなか衝撃的な状態となっている。いわゆる休止駅といやつだけれど、ちゃんと時刻表には描かれている。
保線車両がいたりと、山田線を動かす上での機能はしっかりあるようだが、入り口にはチェーンがかかっていてホーム上は上がれず、そのホームも草だらけだった。あっという間に通り過ぎる。
やはり通過だけれど、
川内駅からは
宮古への
区間列車もあり、ここからはだんだん開けていく。いきなりクライマックスだったみたい。
上米内を出てから次の停車駅、
陸中川井にようやく到着。大きな駅舎を構え、駅前にも商店もあるけれど、乗降は無かった。
そのまま
閉伊川にそってまた走る。雨が降り出してどんどん強くなる。
途中、国道経由便の
106急行バスとすれ違う…と時刻表から推測してずっと眺めていたのだけれど、タイミングが悪かったのか、あるいは国道との間の木々に紛れてしまったのか、結局見ることはできなかった。
茂市駅。かつてはここから
岩泉線が出ていたが、2010年夏に災害で不通となり、そのまま廃止されてしまった。岩泉もそのうち行ってみたいが、やはり高速バスが便利なのだろうか。
茂市もいまや
無人駅だけれど、かつての分岐駅なだけあってそれなりに大きく見える。
この駅から一人、おそらく地元の方が乗ってきた。
途中駅の利用は
盛岡市街地で少しだけあったのを除き、多分始めてで、ちょっとびっくりする。山田線にどれだけ期待していないのだという話だけれど。
106バスのほとんどが高速経由となった結果、茂市の町に止まる急行便は現在5往復(土休日3往復)。加えてローカルバスもあるが、時間によっては山田線に乗るのかもしれない。
蟇目・
花原市と通過する頃には、急に広くなった
閉伊川河川敷に海の近さを感じ始める。最後の途中停車駅・千徳駅あたりからは
宮古市街地が広がる。
ロードサイド店舗や住宅が並び街らしくなってくる。ほどなく
宮古駅に到着した。13時30分着、盛岡を出てから2時間21分後となる。にわかにホームが賑わう。
宮古駅ホームは出口と入口が分離されていて、出口側はそのままロータリーに直結する開放的なつくりをしている。
一方で入口は、
宮古〜釜石間が
三陸鉄道として復活した際にJR駅と
三陸鉄道駅とで完全に統合されたらしく、改札が同じ。窓口も同じ部屋に2社が並んでいる不思議な作りだった。
雨なので観光は諦め、大人しく乗り継ぐ列車を待つことにする。けっこうな人数が待合室にいるので、結構むわっとした空気を感じる。
次の山田線盛岡行きは15時54分と、またずいぶん先だ。しかしこの1本前は9時22分発で、来るときに上米内ですれ違った列車である。6時間32分も列車間隔が空くのは、なかなかに凄まじい。
まあ、ほんと乗れるうちにだな…と思える乗車体験だった。とはいえ、乗っていた20人は全てがマニアという雰囲気でもなく、カップルやグループ旅行者も見かけた。ここまでバスが強くても、鉄道を選ぶ人も存在するのだなあ…という気分。
私の後ろのボックスは半分宴会になっていたし、そういう面で気楽というのはあるのかもしれない。
今回はあいにくの雨で、晴れの日の風景もまた見たいけれど、しかし今度三陸海岸へ行くなら、106特急バスの2階建て車に乗ってしまうかもしれない。wifiついてるし…。
さてこのあとは釜石まで向かった。今は三陸鉄道リアス線だけれど、震災前までは山田線だった区間だ。このエリアは新しく作り直した施設が多い…けれど、サイン類の一部はJR様式を引き継ぎ、ラインカラーも山田線の茶色。
復旧作業時にわざわざこうしたのだろうか。過去とのつながりを残していて、ちょっと粋な気がする。