ぱらのみっく・ういんどう

ひとり旅のブログ。乗り鉄中心、バスに船、街歩き。ひとつのテーマをじっくりと…。

盛夏の大蛇で風を浴びる【木次線 奥出雲おろち号・2022年夏】

「奥出雲おろち号」は、島根県広島県を結ぶ「木次線」を運行する観光トロッコ列車で、結構長い歴史がある。ずっと気になっていたが、車両老朽化によりもうすぐ廃止されてしまうらしい、とニュースを聞く。

ああ、そうなのか、結局また乗れずに列車が去っていくのだな…と思いながらも、私の手はスマホでe5489(JR西日本のWeb予約サイト)を登録しはじめていた。乗るなら、今しか。

 

旅程を決める

いざ乗ろう!としても、関東在住者にはなかなかハードルが高い。基本的には土日と夏休み期間の運転である。出発の10時8分に木次駅にいるためには、当日出雲市につくサンライズ出雲では間に合わない。

夜行高速バスか、当日初便の飛行機+タクシーみたいな手もあるけれど、うーーん、せっかく出雲に行くのだし、初めてだし、観光したいよね…と、まだ指定席をとってもいないのに予定を練り始めた。

木次へ行くにも、泊りがけでないと厳しいのだ。

なるべく長く乗りたいよね、と日曜日の出雲市駅延長運転便を狙うが、事前申し込みの抽選に外れまくる。

 

なら、比較的競争率が低そうな夏休み期間の平日を狙う(ちょうど1ヶ月後は私も夏休みだ)。すると、備後落合→木次の片道だけが取れた。

やった!と喜びもつかの間、どう考えても備後落合駅で3時間くらい待つことに。備後落合へは木次線芸備線があるけれど、一日3本とか5本とかの超弩級ローカル線だ。

切符はとれたのに駅までたどり着けない、という

仕方なし、これは払い戻そう。もうe5489で10時(指定席発売開始時間)ジャストで申し込んでやる! 

窓際じゃなくてもいい、備後落合行きか、出来たら往復で乗れれば!と意気込み操作していると、あっさり往復で取れてしまった。あっけない…。

ついでにうっかり同日のサンライズ出雲まで取った。これで一件落着、出雲旅行を楽しむぞ~。

とりあえず出雲大社は行こう。

結局出雲には3泊(!?)して宍道湖周りをしっかりじっくり観光し、当日を迎える。

 

木次駅

出雲市駅にホテルをとったので、山陰本線木次線と乗り継ぎ、木次線の分岐する宍道駅へ。トロッコ列車木次駅からの発車なので、まずは木次行の列車に乗り継ぐ。

ロングシートの1両編成、山陰線列車の接続を受けて全席がサラッと埋まる。リュックサックとカメラを持つ、おろち号に乗るんだろうなという旅行者が多そうな雰囲気だ。

宍道→木次まではキハ120形、JR西日本のローカル線ではおなじみの車両だ。

宍道駅から40分後、木次駅に到着。

機関区につながる側線には青と白の車両が留置されている。おろち号だ!

宍道から乗ってきた普通列車とは、同じ2番ホームからの発車。でも、駅舎のある1番ホーム側で写真を撮りたいな、と構内踏切を渡ってスタンバイ。

いったん備後落合方面へ引き上げた後、駅へ入選する。

ロッコ客車のお顔。だいぶ改造されているが、もとの客車の雰囲気がけっこう濃い。

おろち号が入ってきた!みんな一斉にカメラを向ける。

先頭に立つのはDE10形1000番台ディーゼル機関車、貨車の入れ替え用に貨物駅によくいるイメージだけど、最近は引退が進んでいる。

後ろには客車が2両、機関車側は控車扱いの客車、反対の先頭側は窓のないトロッコ列車になっている。

編成は下記の通り。

(←木次)DE10-1161 + スハフ12-801 + スハフ13-801(落合→)

さっきまで乗ってきた普通列車は微妙に移動し、おろち号と縦列停車。

写真を何枚か撮るが、意外とすぐに発車時間となってしまう。乗り込んで席を探す。

指定席券は1枚だが、普通の客車=控車(スハフ12)と、トロッコ客車(スハフ13)と、両方の車両に1席づつが確保されている。トロッコ列車は硬いベンチシートだし、雨が降ったら大変なので、避難用として普通の席の車両も用意されているというわけである。

ゆえに総定員はたったの64人で、機関車含めて3両編成での運行と考えると、かなり贅沢だ。

 

車内の様子

ロッコ車であるスハフ13-801。窓が取っ払われていて、とても開放感がある。

開放的なトロッコ車。

シートは写真のように、外向きベンチ席と、向かい合わせ4人掛けのボックス席がある。通常の列車の席配置とちょっと異なり、ABCDが横一列でなく、区画ごとに振られているのが特徴的。(観光列車でたまに見るパターン…というか、よく考えたらボックス席の特徴か。)

今回は往復で両方乗ることができたが、人と向かい合わせにならず、目の前に大パノラマが広がる外向きベンチ席のほうがお勧めかも。

ボックス席。ニス塗りの木製シート。ややくたびれを感じる。

外向きシート。3人が外(窓側)向きに、奥の1人がそこに対して横向きに座ることになる。

席指定があるとはいえ、意外と乗り降りでの入れ替わりが激しく、また控え客車の方に乗っている人もそれなりにいる。あえて立っている人も多い。結果として、満員の割に空席があるので、ちょこちょこ移動しつつ、みんな自由に座っている感じだった。

 

奥出雲おろち号は、いわゆる「ペンデルツーク」と呼ばれるシステムで、この車両は客車だけれど前方に運転席がついている。備後落合行きでは客車の運転台で機関車を操作し、後押ししてもらう。

スハフ13-801のちいさな運転台。

機関車の付け替えが不要なので、機関車牽引列車の多い欧州なんかではよくある運転方式。一方日本だと、大井川鉄道井川線や観光トロッコ列車くらいにしか例がなく、珍しい。私はこういうのが大好物、そもそもペンデルツークというのが、最初におろち号に興味を持ったきっかけだ。

他の「ペンデルツーク」列車の例として大井川鉄道井川線。後ろについている機関車がすべての動力を担い、先頭の制御客車から操作ができる。

 

運転台は片隅に寄せられているので、車両の先頭で前方を眺めることもできる。これは楽しい!

先頭部。左側のこじんまりとした部屋が運転席だ。

先頭の窓まで開く。そこ、開くんだ…。

まさか開くとはおもわず、乗り合わせた人が開けはじめてびっくり。

一方、トロッコ車両では無い方の控車、スハフ12-801の方は、普通の簡易リクライニングシートが並んでいる。観光列車らしい改造は特に無い。あくまで荒天時の緊急用と割り切った車両だろう。

控車は装飾もなく、「普通」だ。

かなり「ふつう」だが、とはいえ普通の客車列車自体が消えて久しいし、私も当時を知らない。マニアはむしろこちらで旅したくなるかもしれない。

私も、帰りとなる木次行では、グループ旅行と思しき同じ区画の人たちに少し遠慮してしまい、こちらにいることが多かった。

客車端からは見た機関車。この景色がとても好き。

 

木次駅出雲三成駅

指定席に戻って発車を待つ。

取ったときは、B席なので通路側か…と思っていたが、改めて座席表を確認すると外向きベンチシートの席だった。おかげで、前を向いて座っているだけでずっと大パノラマが広がるのだ。

本当に開放的だ。

発車まで時間もないが、ホームに販売カートが来ている。地場の木次乳業がアイスや牛乳を売っているらしく、これは買っておかねば!と急いで買う。夏の鉄道の旅といえば、新幹線であれ観光列車であれ、とにかくアイスというものだ。

思わず買ってしまう、駅弁ならぬ駅アイス。

しかし、発車時間の10時8分を過ぎても、なかなか出発する気配がない。

どうも今朝発生した山陰本線の遅れが響き、木次線の代行タクシーから乗り継ぐお客さんを待っているようだ。乗ってきた木次線は、接続する特急列車を待ってからの発車だったはず。でも、だいぶ慌ただしく、乗り継ぎに失敗したのだろうか。それとも、もっと別の場所で混乱があり、どうしても間に合わなかったのか。

 

大変だなあ…とか考えながら、アイスが溶けそうなのでチマチマ食べながら待つ(おいしい)。結局24分遅れて、10時32分ごろの出発となった。

とかく待つしか無い。アイス溶けそうだし食べちゃおう。

 

列車は全席指定ながら各駅停車。全く同じ時間帯の出雲横田行きは、奥出雲おろち号が走る日は代わりに運休となるようだ。先程の代行タクシー対応も見るに、土日と夏休みの木次線は奥出雲おろち号を中心に回っている感じがある。

 

走り出せば、窓から凄い勢いで風が入ってくる。テーブルに不用意に何か置いておくと飛んでいってしまいそうで、実際に「軽いものは飛びますよ」と案内放送が入る。トンネルに入る瞬間気圧差で大きな風が吹き、隣の人の指定券がどこかへ飛んでいく。

おかげさまで夏らしい晴天に恵まれた。トロッコ日和だ。

トンネル内では天井のランプが良い雰囲気。

トンネルの中では天井のランプが灯る。ひんやりとした空気も相まってなかなか良い雰囲気。トロッコ車両の真ん中には大蛇の飾りがあり、周りが暗くなると光っているのがよく見える。木次線で一番長い下久野トンネル(下久野出雲八代)では、写真を撮りに来る人が沢山いた。

 

日登、下久野出雲八代と各駅に停車していく。歴史の有りそうな好ましい駅舎たちがよく見えるのも、トロッコ列車の良いところだ。

日登。いきなりこんな駅舎がのこっているなんて!と思ったが、木次線では普通のようだ。

下久野駅。駅構内でシソを育てている。

出雲八代。駅舎の形というのはある種制式化されているのだけれど、それでもウン十年と使っていれば個性が出てきて、見比べるのも楽しい。

どんどん緑が増えてきて、元気の良すぎる夏の木々の枝が、威勢よくバチバチと車体を前からひっぱたく。窓に近寄りすぎたら一発洗礼を食らいそうだ。そして景色が開けると、田畑や山々、青空が広がり、赤褐色の石州瓦で彩らえた民家が爽やかな景色を引き立てる。

パチンパチンパチンパチン、ザッザッザッザッ、と、前の方から木々が車体の枠をひっぱたいてくる。

山陰らしい石州瓦。赤でも黒でも、なめらかな光沢が夏に映える。

不思議だったのは、意外とさっさと降りてしまう人が多かったことだ。まだ木次を出たばかりなのに、だんだんと席が空き始める。

降りるお客さんに対しては、車掌さんはトロッコ客車から身を乗り出して切符拝見。

この先の出雲三成で木次行の普通列車と行き違うが、それで木次へ戻るのだろうか、案外こういう「チョイ乗り」もあるのだなあ。まあこちらとしては、席が空いてくれるので、いろいろ移動して座ってみたりしていた。

 

出雲三成駅では団体ツアーが乗ってきて、先程空いた席を席をまた埋めていく。そうか、出雲三成からは予めツアー会社が抑えるなら、木次~出雲三成間は席が空いていることになる。さっさと降りた人はその空席区間を狙ったのだろう。

出雲三成駅。列車交換もできる大きい駅で、奥出雲町内では横田と並ぶ規模の街だ。

 

仁多牛べんとう

出雲三成ではお弁当屋さんが乗り込んでくる。「仁多牛べんとう」という肉系駅弁の車内販売が始まった。

これは取り置きができるので、前日に予約しておいたが、その際に「三成駅停車中に受け取ってくださいね」と言われていた。この列車は遅れているし、すぐに発車してしまうだろう。買いそびれたらこの後ずっと飯抜きだし、それ以上に申し訳ないぞ、と、早速受け取りに行く。

しかし列車が走り出しても、そのまま販売員さんが乗って弁当を配っていた。焦らず席で待っていてよかったようだ。1000円を渡し、弁当を手に入れた。

車内販売がはじまる。

仁多牛べんとうは…見た目は牛丼で、実際に牛丼だ。

しかしなんというか、夏に飲む冷えた水のごとく体に自然に入ってくる感じが凄い。うまく例えられないのだけれど、味はそう濃くなく、しかしこのうまみは素材の味というやつか。

美味しいものを食べると目を細めてしまう癖がある。このとき、この夏一番の糸目だったと思う。

牛丼というもののポテンシャルは実はすごく高いのだなと思い知らされ、いや、とにかくうめえな?と夢中で食べてしまう。列車に乗りながら、風に当たりながら食べる駅弁というものほど最高もないと思うが、それが美味しければもう天国だ。文章にまとまりが無くなってしまった。

すべての素材が地元産らしく、究極の地産地消とのこと。仁多はこのあたりの郡名であり、平成の大合併で奥出雲町が出来るまで、三成を中心とした仁多郡仁多町も存在した。

 

 

出雲三成出雲坂根

奥出雲おろち号では、予約弁当販売が各駅である。木次では鯖寿司の弁当とか、亀嵩のそば弁当とか。実はそば弁当も気になっていたのだが、あいにく蕎麦屋さんが定休日の火曜日に乗ってしまった為、食べられず。タイミングが悪い…。まだ全然お腹に余裕がある。

亀嵩駅。駅前二蕎麦屋さんがありお弁当を出している…が火曜日はお休みだ。

亀嵩に停車する。砂の器で有名、という知識だけはあるが、結局まだ映画も本も読んだことはない。しかし雰囲気のある駅だ。

 

お次は出雲横田。ここはかなり大きな街で、駅前にいい感じの旅館が多くある様子。いつか泊りがけで、じっくり歩きたい街。

出雲横田駅は、注連縄が改札口にある。重厚な木造駅舎とよく似合っている。

この先はがくっと列車本数が減る。奥出雲おろち号を入れても1日4往復、それが走らない普段の平日は1日3往復しかない。

今年(2022年)に入り公表された、JR西日本の閑散区間別営業成績でも、出雲横田から備後落合は営業係数6596…つまり100円の運賃収入を得るのに6596円の支出だったという、日本有数の赤字区間だ。しかもコロナ前、2017-19年の平均値でである。

 

しかし、それだけ運営費用がかかるのも納得の、物凄いところを通っていくのだ。いよいよ木次線のハイライト区間八川駅出雲坂根駅と進み、その先は有名な三段スイッチバックで山に挑む。

八川駅。しかしこのスタイルの駅舎が多く残る木次線、改めてすごいな。

目前には大きな山が迫る。

沿線の駐車場から子供たちが手を降ってくれていたりと、観光列車の楽しい瞬間もありつつ、列車はまた夏の奥出雲を走る。列車の走る谷はだんだんと幅が細くなり、ここが詰まったところに出雲坂根駅スイッチバックの出発駅だ。

と、高まる期待を前に、坂根の少し前手前で列車は止まってしまった。

 

 

倒木発生!

なんと倒木が発生したらしい。

車両前方には人だかりができていて、その隙間から見せてもらうと、しっかりと木が一本横たわっている。メチャクチャ太いというわけでも無いが、しかし、力付くで動かしたり折ったりするのは容易そうではない。

この時点で12時頃。遅れがなければ三段スイッチバックを走行中のはずだが、またまた遅れてしまいそうだ。

あちゃあ。

この区間、始発列車のあとは奥出雲おろち号まで数時間は列車がない。その間に木が倒れてきてしまったのだろう。

 

しかしどうするか。普通列車用のキハ120はノコギリが積まれているらしいが、奥出雲おろち号にはその装備がないそうだ。車掌さんより「いまから乗務員で押して動かしてみます!」と放送があり拍手と激励が起こるも、結局動かせず。

こう、昔の話だとこういうとき、乗客総出で押して動かしたりするよな、とも思ったが、まあ令和の今はコンプラ云々でそういうわけにも…である。

何事かと人が少し集まってきた。

下の方には工事現場があり、そこからなんとかノコギリが借りられないか、という話になる。心配して見に来た人もいるが、下の道と線路とで高低差が大きく、声が届かない。出雲三成から乗ってきたツアーの添乗員さんも、宿に連絡を入れたりと大変そうだ。

 

やることがないので、車内を見て回ったり、乗り合わせた人と「どうなるんでしょうね~これ」と話したり、外のトンボを撮影したりしてぼーーっと過ごす。こういうトラブルはもう待つしかない。

トンボ。オープンなトロッコ客車だから、こういった虫があっさり車内に入ってきたりする。

停車から30分以上過ぎた頃。なんとか借りられたノコギリで頑張る乗務員さんの姿が!

結局、下にある延命水の建物に電話し、そこからお隣の工事現場に頼んで、少し先にある踏切を経由してノコギリを借りられたようだ。運転手・車掌の2人がかりで倒木の撤去が始まった。前の方から歓声があがり、どうやら無事切断できたらしい。戻ってきた車掌さんたちを、乗客みんなが「本当にお疲れ様です!」と拍手で労う。

 

結局、12時42分に再出発。それからすぐ、出雲坂根駅に到着した。

にわかに活気づく出雲坂根駅

先程の工事現場の人がノコギリを回収しに来ている様子を眺めつつ、駅ホームに降りてみる。列車はなにせ1時間も遅れているので、いつ発車するのか分からないので程々に…と思っていたが、かなりの人が駅前の方へ行っていた。物販などがあったのかもしれず、とどまってしまったのが少し惜しい。

実のところ、ここで進行方向が変わるので、駅にはそれなりに長く停車せざるを得ない。

 

3段スイッチバック

ここからは、木次線名物の3段スイッチバック区間だ。先頭の展望スペースに人が集まり始める。出雲坂根駅で先程までとは逆方向に出発し、さっき通ってきた線路とは分かれ、山側へ。

出雲坂根駅の先は行き止まりで、線路はサビつき緑に飲まれている。

先程までとは逆に、機関車を先頭に進行。右側にカーブで消えていくのが、出雲坂根駅到着時に通った線路。

人工物は線路くらいしか見えないような緑の中をしばらく走る。すると唐突に屋根が見えてきて、列車はそのなかへ中へ突っ込んでいく。「折返線」と呼ばれているポイントで、ここでまた進行方向を変える。

 

この辺は冬場かなり雪が降るから、折返線が雪で機能しなくなるのを防ぐための屋根だろう。雪国のスイッチバック駅、例えば旧信越本線二本木駅なんかでも見たことがある。

屋根の中へ吸い込まれる列車。

中はこんな感じ。転轍機や信号施設などを守るのだろうか。

そういえば、ホームのない折返線、運転士はどうやって移動しているんだ?と思っていた。

実際は、一旦列車を止めてから、機関車の運転台から客車の簡易運転台まで、客車の中を通って移動するようだ。機関車から客車までは一旦外に出なければならないが、線路際に降りるのか、車体側面の通路を渡るのか…これは結構大変そうだ。

運転士の移動のため、車掌により機関車とつながる貫通扉が開けられた。

 

再びトロッコ列車を先頭に発車し、列車はさらに高度を上げていく。ずいぶん下の方、木々の間に赤い屋根の建物が見え、あれが出雲坂根駅だ。

出雲坂根駅舎が見えるのは、ほんの一瞬だけだ。写真を見返してみて初めて、ホームで手を振ってくれている人がいたことに気づく。

またえらく登ってきたものだ…と思っていると、車掌さんからちょっと横すみません…といわれ、謝って横に避ける。ちょうど立っていた窓枠のすぐ横に、放送設備やドアスイッチなどが設置されていて、ここから車内放送とドア開閉を行っているのだ。

写真左側の箱が「車掌スイッチ」で、車体両側で計2箇所設置されている。

そのあとすぐに「おろちループ」の車内放送が入る。山の中に突如として、白い巨大なループ橋が現れ、そして真っ赤なトラス橋が目に飛び込んでくる。みんな一斉にスマホやカメラを向けるが、夏の盛りで木々が伸び切っているのか、スッキリと全体を写真に撮るのが案外難しい。

木々のあいだにとぐろを巻いているようで、だから「おろちループ」なのか?

鮮烈な赤さのトラス橋。

ここを通るのは広島市雲南市を結ぶ国道314号線であり、1992年に開通。鉄道が2回のスイッチバックで稼いだ高度を、道路はループ線と巨大橋を駆使して登ってくる。

木次線が廃止されなかった理由として、並行道路の未整備、というのがあったらしいが、かなり立派な道路ができてしまったのだなあ…。

 

三井野原→備後落合

高度を上げきった列車は、民宿やスキーリフトの中を走って三井野原に到着する。ここで先程の団体ツアー客が降りていった。

三井野原駅。駅前には団体ツアーのバスが待っていた。

三井野原はスキー場の駅だ。Wikipediaを眺めると、そもそも駅を誘致するためにスキー場を開設したらしい。かつてはスキー列車が走ったりしたようだけれど、流石に今は列車でスキーに来る人は稀だろうか。そもそも木次線が冬季運休になりがち。

スキー旅館が立ち並ぶ。冬場は雪がすごいのだろう。

三井野原スキー場はわりと広いけれど、リフトやロープトゥごとにそれぞれ運営も料金も別であり、実質的には町営スキー場や旅館のロコスキー場の集合体。スノースポーツ好きに言うと、共通券のない志賀高原みたいな感じ(結局わかりづらい)。

もっとも、昨シーズン動いていたのはロープトゥ1箇所だけだったらしく、車窓から見えた立派なチェアリフトも運行をやめてしまっているらしい。

自然に飲まれるスキーリフト。別の場所にきれいなペアリフトもあったけれど、そちらももう動かしていないようだ。

 

 

三井野原を出ると、線路敷までも緑化度合いがすごいことになってきた。ホントに現役の鉄道線だろうか?島根-広島県境は三井野原駅を出てすぐのところにあったようで、意識しないうちに、すでに広島県内にいる。

写真のヒストグラム見たら緑だけすごいことになってそうだ。

油木駅。駅舎は新し目のプレハブだが、駅名標は古いものが残されている。

廃線敷を利用した散策路」とキャプションをつけても違和感がない。

ちょっと不安になる鉄橋。いやあトロッコらしいではないか。

木次線のハイライト区間出雲坂根三井野原、と思っていたが、その先備後落合までの区間こそ「本気」のローカル線区間だ。むしろこの区間こそ乗らなくては、前面展望を楽しまなくては…と、三段スイッチバック区間を過ぎて、随分落ち着いた車内で思う。いやまあ、じっくり味わえて嬉しいのだけれど。

油木駅に止まってから、しばらく走って終点・備後落合へ。

 

備後落合駅

だんだんと右手から線路が近づいてきて、これは芸備線か、と思っているとカーブの先で線路がいくつもに分岐し、とても大きな駅(木次線比)が現れた。使われてはいなそうだが、転車台まである。

山中の巨大ターミナル、備後落合駅へ。芸備線と合流する。

古びた転車台が右手に見えた。

ホームには制服を着た駅員さんがいる。あれ、ここ無人駅では?と思いきや、この方はボランティアらしい。駅では10人以上が待っているが、一体どこから来たんだろう?一本前の列車は、木次線芸備線も午前9時台。さすがに車で来たのかな。

13時39分、備後落合着。予定通りなら12時36分には着いていたのだが…。

 

先程手を降ってくれたボランティアさんが駅を案内してくれる、と聞いていて楽しみにしていた。しかし、流石に1時間遅れでその余裕はなさそうだ。「準備でき次第すぐの発車となりますので、折り返し乗車のお客様はお乗りになったままお待ち下さい」と案内放送が入る。

さっと降りてパシャリ。それにしても広い構内だ。

折角終点まで来たのに車内待機というのも悲しいが、しかし置いていかれたらもっと悲劇である。倒木はどうしようもない事情だし、それを地域の協力で借りられたノコギリで現場で切り倒し、今こうして再び動いているだけでも、ありがたく、凄いんだと思おう。

 

それでも、一瞬だけ降りてみた。地味に人生初の広島県着地である。

再び車内へ戻り、駅構内を観察。芸備線ホーム、超ローカル区間なのに、上屋のサインシステムは都会的な雰囲気で、何だか可笑しい。

そそくさと車内に戻り待つ。13時45分に、トータル6分で折り返しの準備を済ませ、おろち号はすぐに発車してしまった。これも、遅れがなければ12時57分発であった。

すぐにさようなら…。駅に残る人は、このあとどうするんだろう。

 

備後落合→木次

先程と逆回しで景色が流れていく。トロッコ車は今度は最後尾になるからか?先頭だった備後落合行ほど展望スペースに人気はなく、そこで写真を撮ったりして過ごす。

坂根まで戻ってきた。列車がいつ発車するのが分からず、私は精々機関車の写真を撮るのが精一杯だ。とはいえ結構、駅舎の方へ行っているひとも多かった。

ふたたびスイッチバックを下り、出雲坂根でも準備が終わり、外に出ていた乗客が戻り次第、すぐに発車。

木次行のおろち号は、交換待ちも兼ねて長時間停車が設定されているのだけれど、このへんも全部削って飛ばしていく。長時間停車で駅の周りを見て回るのはローカル線観光列車の楽しみの一つ…だけれど、まあ今日は仕方ないか。

 

車掌さんが、乗っている子供達に記念カードを配り始めた。ある駅で、おじいちゃんと一緒に列車を見に来た子供が待っていた。車掌さんはその子にも記念カードを渡していく。

「孫を乗せたかったんだけど、指定がとれなかったよ」と会話が聞こえた。やはり人気列車だ。

帰りはグループ客と乗り合わせてやや気まずく、結局控え客車の方で過ごすことが多かった。まあ、それ以上に、行きの備後落合までで濃厚な乗車体験をしたから、ちょっと「トロッコ疲れ」しているかも。

シート回転で思い切りが足りずにひっかかり、車掌さんに「大丈夫ですか?」と声をかけられる直前の写真。

やや苦労して簡易リクライニングシートを回転させ、ぼーっとすわる。リクライニングとはいえ古いものなので、角度はあまり思い通りにならない。とはいえ、トロッコ車の木製ベンチシートに比べれば遥かに座り心地は良い。

控車側だけ切り取ると完全に「ディーゼル機関車が引く客車普通列車」である。

デッキ付近。国鉄が残っている。

まったくふつうの客車の旅、これはこれで、令和の今ではとても得難い経験だ…。と思いながら、リラックス状態になり少しウトウト。

 

出雲横田では回送列車とすれ違う。どうも奥出雲おろち号が遅れたので、備後落合14時台発の普通列車が運休となり、タクシー代行をしているようだ。区間運転のため送り込みで来たのだろうか?

回送列車とすれ違い。かなりダイヤが混乱しているよう。

出雲三成でも備後落合ゆきと交換。本当はこの列車を待つために20分間止まる予定で、逆に普通列車を待たせていて、すぐの発車。

それでも待っていた地元の人たちが、笑顔で手を振ってくれた。きっと物販なども準備していただいていたろうに…。こうなると、またいつか沿線に来なくては、という気持ちが強まる。

今度は真っ赤なキハ120と交換。タラコ色とか首都圏色とか呼ばれている国鉄時代からのカラーリングだが、コスト削減のため、JR西日本は鋼製車体のディーゼルカーをとりあえずこの色に塗っている。

して、ここまで飛ばしまくった結果、宍道行き列車の発車を待たせて木次で接続することになったようだ。更に宍道行きも、山陰線が接続するらしい。なんと、最大1時間の遅れを木次駅着10分遅れまで戻してしまい、その先もすべて予定通りの接続をとるというのだ。

どうも、特急やくもへの乗り継ぎが厳しい人がいたようで、乗り継ぐ人は車掌にお声がけください、と車内放送をしていた。遅れを取り戻し、調整もうまく行ったのだろう。

 

いやしかし凄いな。私もこのあとはサンライズ出雲で東京へ向かうつもりだったから、最悪ケースよりも随分余裕ができた。本当にありがとうございます。

帰りはちょっと曇り空。列車の最高速度は45km/hで、徐行区間も数多いが、それでも急ぎ足で列車は駆ける。

ふたたび下久野トンネル。トンネル出口の光がどんどん遠ざかる。

遮断器と警報機のない第4種踏切。ああ、ローカル線…。

結局あっという間に木次駅へ到着。乗り換え列車もすぐに発車してしまうので、足早に隣のホーム、宍道行き列車に乗り換える。

 

素晴らしい景色の一方で、運悪く立て続けのトラブルのたびに遅れが積み重なり、そしてそれを取り戻すように走る。最後は慌ただしくなってしまったが、ともあれ無事木次まで帰ってこれた。いろいろあっても、無事着いてしまえば楽しい旅でした。乗り換えて、出雲市駅まで戻ります。

乗り換えを待たせているので、手早く隣のホームへ移動。そういえば車内に水筒を忘れた人がいたらしいけど、無事手元に戻ったのだろうか?

 

結び

奥出雲おろち号は、2024年度をもって運行終了が決定している。

後継には観光列車「あめつち」が来るようだけれど、三段スイッチバックを含む出雲横田~備後落合間は運行しない。流石に急勾配で厳しいのか、しかしあの区間こそ魅力的なのに…。とはやはり思ってしまう。

でも、木次~出雲横田駅だけでも、沿線風景はとても魅力的。夏の空と緑に映える石州瓦の民家、急流にかかる鉄橋、あるいは古く魅力ある駅舎…という風景は忘れられそうにない。

発車する木次行列車の中からパシャリ。さよなら、おろち号

木次線、なかなか関東からだと乗りにくく、運行終了までに「おろち号」をもう一度!は厳しいかもしれない。

しかしまた、今回あまり出来なかった沿線めぐりに訪れたいなと思う。亀嵩の蕎麦とか、泊まれる恐竜博物館とか、まだ見ていないものが沢山あるのだ。「おろち号」が去っても、まだ魅力ある木次線としてなんとか残ってくれること、微力ながら応援したい。

 

(初稿2022/10/24、奥出雲おろち号運行終了に際し、2023/11/24改稿)