ぱらのみっく・ういんどう

ひとり旅のブログ。乗り鉄中心、バスに船、街歩き。ひとつのテーマをじっくりと…。

Pトップと急行型客車で峠の麓へ【ELぐんま よこかわ・2022年秋】

帰省ルートについて思案。いつも新幹線一本で帰るけど、今回は日程に余裕もあるし、ちょっとばかし寄り道してみたい。色々考えたり「えきねっと」を見ていたら、ちょうど「ELぐんま よこかわ」の横川行きが空いていた。そういえば乗ったことがなかったし、ちょうどいいかなと予約。

 

 

当日。東京→高崎だし、指定席を取るほどでも…と思って乗り込むと、連休初日の上越新幹線の自由席は大混雑。案の定座れず、混雑する新幹線のデッキに立ち、高崎駅に向かう。ホームに滑り込む少し前に煙が見えて、下を見ると蒸気機関車青い車両がつながっていた。なるほどあれが来るのか。

青い客車!ちらっと見えた。

高崎は雨降り。あるき回るにも…微妙。と思いつつ、しばし時間を潰し、再び駅構内に向かう。「ELぐんま よこかわ」は2番線発着だ。

こういうときは向かい側からスッキリ写真を撮ったりしたいけど、1番線は封鎖され立ち入れない。大人しく柱のそばで待つ。

 

高崎駅入線

9時35分頃、上野方面から列車がやってくるようだ。天気も悪いし、駅舎の影で暗く、ホーム上は人が多いしで、よく見通せない。それでも、汽笛の音から列車が入ってきそうなのがわかる。点字ブロックを越えぬように、と、盛んに放送して注意喚起をしている。

だんだんと列車の形らしきものが近づいてくるのがみえる。

おお、来たかな…??

おお!!Pトップじゃん!!!

今日はEF65-501の牽引だった。機関車の下には人たち、前方を注視している。
それにしても随分とゆっくりだ。

 

 

当日の編成

EF65の後ろには青色の12系客車が5両。そしてその後ろは、高崎時点では見に行かずにわからなかったのだけど、安中で確認したところD51496だった。

 

SLぐんま は日によって編成が変わるが、今日の編成は下記のとおりだ。

(横川) EF65-501+12系5両D51 498 (高崎)

横川駅は構造上機関車の付替えができないので、かならず前後に機関車がつく、いわゆるプッシュプルの動きで走ることになる。

高崎地区の客車観光列車は結構マニアックな方面のバラエティに富んでいて、ほかにもC61、旧客、EF64-1000やDD51が来たりもする。

Pトップ:EF65-501

そのなかでも、EF65-501が来たのは素直に嬉しかった。東海道方面のブルートレインなんかを引いていたことで有名な、EF65型500番台の旅客タイプ1号機。鉄道趣味界隈ではPassenger型のトップナンバー、の意でPトップと呼ばれていたりする。

めちゃくちゃキレイなボディに愛を感じる。

かなり歴史ある車両。引退したら鉄道博物館に入ってもおかしくないような車両だし、今の今まで活躍しているのだって、動態保存的な意味合いが強いのだろう。

しかしながら、もう客車列車なんてJR線にはいないし、観光列車以外でのメイン業務だった工事列車や列車回送向けにも新型が登場。最近はJR東日本・高崎地区の電気機関車が立て続けに廃車されている状況で、趣味界隈でも、EF65-501だっていつまで走るのか…という雰囲気がある。

うしろのSLのほうが人気かな、と思いきやPトップも大人気。

まあ、数年前から廃車説は出ていて、結局まだ走るんかい!という部分はあるけれど。それでも車両も古いのだから、早めに見ておけるのに越したことはない。

 

まあ、色々書くが、なによりカッコいい!見てみたい!というのがずっとあったので嬉しかった。ブルーとクリームの優美な配色、横に細長い窓、その下のグリル、青い客車、昔図鑑を見ては絵に書いた「ブルートレイン」がいまここにいるのだ…。まあ、Pトップが活躍した時代には、まだ私は生まれてないんだけど。

このアールのついたお顔がいいんですよ… (@横川駅)

12系客車

後ろにつながる12系もなかなかに貴重だ。改造車はそれなりに存在しているものの、数は減りつつある。

2ドアに大窓が連続する姿、私になぜかメチャクチャ刺さる。 (@横川駅)

いちおう急行形客車に分類される。急行なくなり久しき今、そもそも急行形というのも風前の灯火である。ディーゼルならいすみ鉄道のキハ28、電車はえちごトキメキ鉄道のクハ455がそれぞれ「最後の1両」だ。どちらもわりと、先は見えている。

急行型自体が好きなのかも。写真のいすみ鉄道キハ28は、23年2月で引退。

それに対して12系グループはもう少しの間残りそうで、国鉄の「急行」というものの雰囲気をしばらく伝えてくれるのだろう。

 

筆がのっていろいろ講釈をたれてしまった。一方、このとき現場にいた私は、ホームの端っこでひとしきりシャッターをおして満足し、ちょっと早めに車内へ向かう。

本日のお席

事前にえきねっとで見た通り、車内のボックスはすべて埋まっている。ただ、私は一人旅だったけれど、1ボックス専有できてしまった。確かに、なかなかこの状態を見て、予約も入れづらいな…と少し申し訳なくも、しかしせっかくなので贅沢に使わせていただく。

家族で盛り上がるボックスもあれば、私のような一人旅もいて、子供にマニヤに、いろんな人を載せている。

発車が近づく。わりとギリギリまで外で写真撮ってる人が多い印象。

ちなみに各車両1ボックスは荷物置き場になっていて、ここは大荷物やベビーカーを置くのにご利用くださいと放送があった。なるほど、古い客車だからスペースは少ないけど、こういうふうに対応しているのか。

トイレと洗面台は大理石張りに美しく改修済で、女性専用トイレもある。水回りがしっかりキレイ、というのは、現代の列車として大事なのだろう。

水回りはぴっかぴかで、ここだけ昭和じゃない。

高崎→安中

9時48分の定刻にホームを発車。案外、高崎駅に止まっている時間は短い。

ELが、ぴきぃぃぃぃーー、と警笛を放ち、それに呼応してSLがぶぉおおおお、と汽笛をあげ、ガッコン、と揺れて動き出した。

行ってきます!

初動の揺れが大きくて、ああ、客車らしい感じ、と思ったが、走り出してしまえばすごくなめらかだ。3号車には発電用エンジンもついていないし、実に静かにコトコトと走る。線路もかつての幹線・信越本線だから作りがいいのだろう。

 

ちゃらららららん、らららららん♪
ハイケンスのセレナーデが流れ、自動放送が始まる。軽く運行の案内をしてから、牽引する機関車の紹介に入る。この列車は「ELぐんま」であるから、後ろについているSLではなく、先頭で引っ張るEL、電気機関車の説明だ。

EF65-501の説明や、ブルートレインとして活躍した線路などに加えて、鉄道ファンにはPトップと呼ばれ親しまれています、なんて話もあり、やはりしっかりと主役。

「旅」だ

もう一度ハイケンスのセレナーデが流れ、車掌放送が終わる。続いて車内販売のご案内。子供向けには冊子を配りますと案内が入る。

限定のお弁当とか、お菓子や飲み物、Tシャツまで売っているらしい。この車内販売、3号車の中程にある私の席で見かけたのは、もうだいぶ旅の終わり頃。歩みが遅いわけではなく、どうも安中でホームに降りている間に一度通り過ぎ、折り返してきたところだったようだ。やはり今日繋がっている方のグッズが人気なようで、このときにD51のTシャツは早々に売り切れて、C61だけが残っているというような会話が聞こえてきた。

すっきりしない天気。まあ、こんな日もある。

車窓はどんより曇り、時折雨。スピードはさほど出さず、スマホに入れているGPS速度計を見ると45km/h程度で、のんびりしたものだ。それでも快速なので駅を次々に通過してく。

こんな雨の中でもやはりPトップ牽引は魅力的なのか、沿線でちらほらカメラマンを見かける。畑地に沿って咲く真っ赤なヒガンバナと絡めて撮る人もいて、なかなか素敵な写真になりそうだ。ヒガンバナの赤はどんよりした車窓にも特によく映え、そして今日が秋のお彼岸であることを思い出す。

こんな天気だから、赤い彼岸花は目を引く

群馬八幡をすぎたあたりで、今度は12系客車の説明がある。どことなくマニアックで、かつて12系が使用されていた、ということで、夜行急行ちくま(長野〜大阪)とかの名前も出でくる。どうも、鉄道を学ぶ、という需要を満たそうという雰囲気がある。まあ終着駅の横川には「鉄道文化むら」もあるから、乗っている人はきっと何らかの形の鉄道好きだ。

本日のきっぷ。

安中の手前で車掌さんが切符の確認に来た。指定券と乗車券をそれぞれ手元に用意しておきさっと出す。乗車券の方は特に見られず、指定券にスタンプを押してから返さえた。そうか、高崎〜横川はSuicaエリアだから乗車券は持たない人も多いのだろう。

 

安中駅

山肌を埋め尽くす東邦亜鉛の工場が左手に見えてくればもうすぐ安中。

ここすき

安中駅には3分遅れの10時7分に到着。雨だからだろうか?本来は8分ほど止まるが、遅れたので停車時間が短くなってしまった。それでも12分の発車までの5分間でホームへと降り立ち、後ろの蒸気機関車を見に行く。

 

D51-498

先述の通り、高崎時点では後ろにどの機関車がついているのかわからなかったが、ここでおなじみ?D51-498だというのがわかった。

D51-498

D51-498は、正直雨に嫌気がさしてあまりあるきまわらなかったので、よく見れていない。割と色んなところに出てくるイメージで、幼き頃に篠ノ井線の明科とか、信越線の豊野とかに見に行った覚えがある。お久しぶり、だ。

「ぐんま車両センター」になかなか慣れないオタク。「高」じゃなく「群」

蒸気と煙、熱気、そして音。カマに火の入った蒸気機関車というのはやはり力強さがある。石炭臭いのもまた楽し。この便の主役はあくまでELの方とはいえ、やはりSLの魅力に抗えるものではなく(?)、雨が降り続く中でも写真を撮りに来る人が多い。

点検確認も行っているようで、状態チェックを兼ねた停車だろうか。

東邦亜鉛と蒸気。

JRの人も、背景の工場と蒸気機関車のコラボレーションをお楽しみください、と案内をしている。ちょうど工場方面が開けたところにとまり、これはなかなかカッコいい。スチームパンクくささがあるというか。

 

しかし、安中はぜひとも工場夜景を見に来たいですね。計画立てるかあ。

急いで戻る

結局すぐに時間は来てしまう。そそくさと客車に戻る。横川駅についたあとにたっぷり時間はありますから、と親切に乗車を急かす声が外から聞こえた。席について、発車時刻を待つ。

 

安中→横川

結局1分遅れで発車して、ふたたび雨の中を走る。工場の中に入ってゆく引込線が見え、こういう風景は健康によい。

あ~、ここを列車が走るシーン、見てみたい

安中を出ると田園地帯が広がる。少し離れた道路を並走する車、その後部座席で手を降っている子供が見える。緑の中に大きなカントリーエレベーターが見えた。

穀倉地帯にきたな~という気分になる、カントリーエレベータ

お次は磯辺。〜〜〜発祥の地、という放送がよく聞こえなかったが、2回めでわかった。温泉マーク♨発祥の地だった。聞いたことあるなそういえば。

その磯辺はすぐの発車で、ホームには降りないよう、という案内が入る。

磯部。磯辺焼き食べたい…いや漢字が違うわ。

磯辺から松井田あたりは信越化学工業の工場が連なっている。グループの信越半導体の工場もあって、こちらはシリコンウェハが世界トップシェア、持ってる電子機器のうちいくらかの成分はここ出身なのかもしれないな。信越本線群馬県区間、安中をはじめとして、けっこう工場風景がよく見えるのだなあと思う。

信越化学工業碓氷峠が廃止となり、信州・越後まで行けない信越線の群馬県区間で、もしかして唯一の信越要素なのでは?

 

だんだんと左側車窓に妙義山が主張を始める。案内放送の通り、松井田駅を通過してすぐの橋を渡るとき、パッと景色が広がりその異様な山容を拝めた。この天気ではさすがに榛名山は見えなかったが、妙義はしっかりと見えてその近さがよくわかる。

おお…

この山の形が好きで、上信越道を通る高速バスにのるとじっと見てしまう。

とはいえ今日のように、山腹に雲がかかり山頂が見える、という風景は早々ないらしい。なかなか神々しいものを拝んでしまった。

松井田駅からすぐの場所にある西松井田駅を通過すれば、山が両側に迫りはじめ、碓氷川がつくる谷の中に信越本線、国道18号、上信越自動車道があつまって並走する。鉄道がかつて挑み、そして道路は今も挑み続ける「峠」の存在を強烈に感じ始める。

「登ってきた」感が一気に強くなる。

碓氷峠の説明案内が入り、そういえば先程鉄道文化むらの園内施設の優待券も配られていた。ついたらどうしようか、初手釜飯で、そのあとトロッコ、保存車みてまわって…

18号沿いのおぎのや横川店が見えてくるともう横川駅だ。線路がいくつかに分岐し、広い構内がかつての栄華を忍ばせる。これでも相当小さくなったようだ。2番線に到着、お出口は左側。

 

横川駅

いっぽうで右側からは太鼓の演舞が聞こえてくる。1番線ホーム中程でドンドンと響かせていて、ちょうど3号車からよく見える。2番線でやるのだと事前情報を得ていたけれど、この雨だと屋根のある1番線でやるしかないのか。

なかなか迫力があるもので、何人かの乗客と一緒にしばらく降りずに見入ってしまった。ずっと列車に乗っていたからか、太古の合いの手に入る鉦の音がなんだか踏切みたいに聞こえる。(だいぶ早打ちで、2本目の電車が来るときの京成線にそっくりだ)

降りると、雨。ホームには屋根のない部分もありますので、と案内があった通り、普段列車の発着があまりない2番線側にはほとんど屋根はついていない。

釜飯とPトップ。横川のハレ寄りな日常。

さっきより雨脚は強まり、うーむ。SLの方に行くのは諦めて、客車やEL側で何枚かスナップを撮る。

国鉄色電気機関車と青色の客車の組み合わせは、どうしても乗りたくて乗れずに消えていったブルートレインたちを思い浮かべてしまう。まあ、座席車の12系は、ブルートレインの範疇には入らないのだけれど。

ああ~

かっこいいじゃんね…

そうこうしているうち、1番線には普通列車が入ってきた。ELぐんま よこかわ、なかなかゆっくり走るものだから、後続の電車がすぐのところまで迫って来ていたようだ。

お隣に普通電車。いい感じにSLが隠れて、この絵も悪くない?

いろんなアングルから舐め回す。

この雨の中、カメラを壊しても嫌なので、程々で諦めて屋根下へゆき、しかし名残惜しく跨線橋に登ったりして、そして改札を出た。

自動改札で窓口も閉じているが、駅員さんが立っている。持ち帰りたいという申し出に、慣れたように緑色の図入り無効印を押してくれた。そういえば、JR東日本の駅にしては珍しく、穴開けをされていない。

改札出ても振り返っちゃうよね

さて、どうしようか。釜飯たべるか、とりあえず、、、、

釜飯食べてから、鉄道文化むらへ。こちらにはEF65-500番台の貨物向け「F型」 EF65-520が保存されてます。

 

SLぐんま よこかわ発車シーン

しばらく観光の後、こんどは上りSLぐんまよこかわの発車時刻が近づく。まだ雨は降っている。駅への入場はせず、駅の横の駐車場を歩いて人だかりのできている方へゆく。こちらから見ている人も多い。

けっこう奥まで行ける

SLの汽笛はいつもびっくりする。

そして出発。SLはSLでやっぱりカッコイイ。

こんどは主役だ、とばかりに、JRの人とゆるキャラと、そしてたくさんのギャラリーが見守るか、D51-498は勢いよく汽笛一声、それにEF65-501も応え、ゆっくりと出発。

SLが茂みに隠れてから、ズームレンズで目一杯望遠にして切り取る。一瞬だけ、憧れのブルートレインのように見えた気がした。

いつまで走るか、だし、また来てみたい。晴れた日に沿線撮影もしてみたいし。

まっかなBRT、気仙沼線を乗り通し【JR気仙沼線・2022年秋】

JR東日本パスの旅を計画し、前々からいってみたかった場所をいろいろ巡って3日め。そういえば、これも乗れるんだよな?と、三陸海岸のBRTに乗ってみることにした。震災復旧として鉄道の代わりにBRTとして整備された気仙沼線大船渡線、とりあえず今回は気仙沼線を途中下車しつつ南下する。

 

気仙沼駅:鉄道とBRTの共用駅

大船渡線沿線を観光し、旅行者で混雑する列車で気仙沼駅に到着。列車を降りると、大船渡線ホームからはスロープでBRTのりばに繋がっている。

そのまま直進すると大船渡線(高田・盛方面)乗り場、道路を渡って駅舎側が気仙沼線志津川・柳津方面)の気仙沼線BRTだ。

発車案内はおなじみ3色LEDスタイル、鉄道大船渡線と一緒に表示。

11時45分着の大船渡線325D列車から降りてきた人たちのほとんどが、そのまま大船渡線BRTのりばへ向かっていく。バス1台に乗り切れるのだろうか? 一方、気仙沼線側は人影もまばらだ。

 

一通り駅舎などを見物してから戻っても、待っている人は1人だけ。時刻表を見ようとしたらそのまま先頭を譲っていただいた。ありがたく一番最初で待とう。

しばらくしていると人も増えてくる。後ろに続くのは10人も居ないほどだが、しかし昼間のバスにしては並んでいる方か。

まず回送のバスがやってきて、その次に気仙沼線バスがやってきた。

BRTがやって来た。バス停もバスも、黒と赤のデザイン。

 

乗り込む。最前部の一段高くなった席が座れそうだ。ここは最近は無かったり着席不可となることが多いが、珍しい。少しでも収容人数を稼ぐためだろうか?

ありがたくその最前列席に座る。車内の様子は伺いづらいが、かわりに走る道がとても良く見えそうだ。

最前列席からの景色。やってきた大船渡線・盛ゆきと行き違い、発車。

 

気仙沼大谷海岸:最前列席から専用道を堪能

前方から大船渡線BRTの車両がやってきて、これと交換するように発車。11時55分。ちなみにBRTではあるが、列車番号(?)は1928Kとついている。

本吉行きなので、志津川方面まで乗り通す人は次のバスを使うのだろう。比較的空いているが、しかしガラガラという程でもない。

鉄道と並走。基本BRT専用道は「単線」になっている

専用道は一旦大船渡線と沿うように走り、そのあとは市街地をぐるっと180度回る線形になっている。最近新設された「東新城」、鉄道時代からの「不動の沢」と、いくつか「駅」があり、鉄道よりはこまめに、しかし市街地のバスとしては結構間を空けて(駅間1km超)停車していく。

早速この辺りの駅で下車があった。新幹線なんかでおなじみの、水色のカード大のきっぷ(マルス券)を運賃箱に投入して降りていく人がいる。長距離を乗り継いで来たのだろうか。鉄道きっぷをそのままバスの運賃箱に投入するのは、すこし不思議な光景だ。

「駅」。基本的に行き違いができるようになっている。

「BRTが停車してから席をお立ちください」と自動放送が入る。バスという言葉は徹底的に「BRT」へ置き換えられていて、これはただのバスじゃないんですよBRTなんですよーというアピールを感じる。運転席に目をやると、しつらえられた運行表はしっかりJRスタイルだった。

 

南気仙沼

立派な待合室のある南気仙沼駅。

南気仙沼。ここは鉄道時代から駅だったところだ。最初はここで降りてシャークミュージアムへ行く予定だったのだが、思いがけず最前列席に座れてしまったので、もう少し専用道走行を堪能することにしたい。まだ降りずに乗っていよう…。

駅前広場。ちょうどミヤコーバスがやってきた。

ミヤコーバス営業所。ここがBRTの基地でもあるようだ。

駅前は広場として整備されていて、丁度ミヤコーバスが入ってくるのが見えた。ただ、特に接続は取っていないようだった。

すぐ近くにミヤコーバスの営業所もあり、白地に赤のミヤコーカラーと、赤ベースのJR・BRTカラー、両方のバスが止まっている。BRTはJR東日本が運営しているが、運行はミヤコーバスが受託している。

 

三陸BRTの特色

BRTの最高速度は、まあ出して50km/hくらいだろうか。専用道なので信号待ちがなくて快適だか、ものすごく飛ばすというわけでもない。

基本は一車線道路(単線)だが、道幅が少し広くなっているところが数多くあり、そこで対向車と行き違いができる。そして行き違い箇所は駅だけに限らず、「信号場」に相当する場所もたくさんある。お陰でほとんど交換待ちというのはなくて、停止信号で止められても、1分もしないうちに向かい側からBRTがやってくる。なんというか、複線に限りなく近い単線みたいな運用だな、と感じた。

「単線」なのですれ違いがある

ほかにも、ところどころで停車して、そのあと何もなく発車していくところがある。どうやらここは車両走行位置を検知するためのシステムがあるようで、赤色灯→「検知中」表示→緑色灯と切り替わって発車していく。鉄道で言う閉塞みたいなものだろうか。

 

踏切。遮断器は一般車侵入防止のため、専用道側についている。

 

また踏切…いや、いまは交差点か、も数多い。大きな道ではバス側に遮断器がついていて自動車優先のように見えたが、一方で小さな道だとバスの方を待つ車もいる。

遮断器のある踏切や、先の走行位置検知場では基本停車するし、もちろんバス交換の際も停車するし、駅付近では徐行まで速度を落とし、もちろん乗降があれば停車する。こういったことがあり、専用道区間を快適に飛ばす一方で、案外トップスピードを出し続けることはない。

ただ信号待ちはないから、一般道のバスに比べれば随分とスムーズに走る。また、(そりゃそうなのだが)乗降がないバス停はさっさと発車・通過する。鉄道だと、乗降がなかろうと駅での停車で時間を食われてしまうから、それと比較してBRTは結構スピーディーな印象。

 

沿線構造物も特徴的で、最前列席に座れてよかったなあと、ずっとかぶりついていた。

残るトンネルは鉄道時代のままだ

一方、橋梁は河川の津波対策とあわせ、コンクリート橋に架け替えられている。

工事があっても柔軟に避ける。さすがに鉄道だとこうはいかない

大谷まち駅の先で国道に合流する。国道側が優先で、信号があるわけでもないので、意外とここで待たされた。それでも日曜昼だから、車の切れ目で合流していったけれど、渋滞していると大変かもしれない。そのまま一般道区間を快走し、大谷海岸駅には12時23分着。

一般道へ。左手が海岸。かつての鉄道用地ごとかさ上げされ、堤防兼道路になったようだ。

 

大谷海岸

大谷海岸駅は道の駅が併設されている。これはどうも鉄道時代からそうだったようだ

復興の過程でまるっと再整備されてしまったのか、一般道区間だが廃線跡らしき場所は見当たらない。バスは構内に入り、建物脇のバス停に停車する。
仙台行の高速バスも止まるらしく、志津川・仙台方面の表記が頼もしい。

大谷海岸駅舎を兼ねる?道の駅

仙台行き高速バスも止まるらしい。

道の駅にはJR大谷海岸駅と大書きされているので、駅舎を兼ねているといって良いのだろう。実際、ソファとバス走行位置案内モニタのあるスペースが設置されている。地元のおばあちゃんがそこでくつろいでいた。

2Fテラス席で「撮りバス」に励む。マンボウの看板がしゃれてる。

BRT周りの写真撮影に精を出しすぎ、次のバスが案外すぐ来てしまうようだ。海の方まで降りてみるのは諦め、また道の駅内の探検も程々にしよう。しかし何も買わないのは悔しいので「あわびめし」を買った。結局食べられたのは帰宅後だったが、アワビの炊き込みご飯の上に、さらに大きな茹でアワビの切身が乗っていて、滋味と旨味があった。美味しかった。

バス停に戻ると、「ポーン♪ まもなく上り前谷地行が到着いたします。乗車位置へお進みください」と接近放送が流れている。しかし前谷地行きを「上り」と表現するのかぁ。やはり鉄道くささを多分に残している。

12時43分、やってきたバスに乗車。1930K・前谷地ゆき。

わりとシンプルデザイン。でも赤地・ヘッドマークは目を惹く。

 

大谷海岸~本吉~志津川:鉄道っぽさはより濃ゆく

今度の車両は年式が新しいのか、先に座った最前部に座席はついておらず、荷物置き場になっている。また、前谷地まで走り通すだけあって乗客も多い。海側の席も全て埋まってしまっていた。
幸い後方に空き席はあったので、そこに座る。

一般道上でも、BRTの「駅舎」はなかなか立派だ。

ふたたび専用道へ

本吉の町並みがみえてきた。すっごく鉄道臭さのある車窓だ…。

一般道からまた専用道に入り、しばらく走って「本吉」についた。気仙沼からここまでは毎時2本、ここから先は毎時1本となる。乗務員交代のため少し停車する。

本吉駅。鉄道時代からの駅舎が残る。

駅舎は鉄道時代のものをリニューアルして使っているようで、建屋はそのままだが、外壁が木材で飾られている。なんというか現代的なオシャレさがある。

本吉からも、そのまま専用道を走る。ここから、鉄道・気仙沼線としての開通年代がもっとも遅かった区間となる。地形的にも険しく、長いトンネルを続けて、直線的にぶち抜くような路線となっている。とにかくトンネルが多く、歌津駅手前のトンネルでは携帯の電波も入らない。

そんなトンネル内を猛烈なエンジン音を響かせ快走するBRT。交換設備もない(作れない)故か、かなりカッとばす。ハイブリッド車両なので偶にヒューーーンとモーターの音も聞こえてくる。

蔵内駅。鉄道時代からの駅だ。

トンネルの間の谷筋の小川も、とても物々しい河川堤防がついている。どうしても12年前を意識しないわけにはいかない。

何度もトンネルを抜け「清水浜(しずはま)」につく。ここではドアを開けて1分停車。バスにずっと乗っているとやんわりと酔うのか、外から入る冷気が心地よい。またまた長いトンネルに入る。志津川トンネルというらしく、この山の上には工業団地もあるようだが流石に駅はない。


志津川の街に入るところで専用道から一般道へ流出。専用線はもう少し続いているように見えたが、使われていなそうだ。準備工事だろうか?

使われていなさそうな専用道。こういうのも「未成線」なんだろうか?

ここからは高台に整備された町役場・病院や住宅団地に立ち寄りながら走る。これまで快走してきた反動か、ここで案外時間を食うにも感じた。とはいえ駅は「志津川中央団地」「南三陸役場・病院前」の2箇所のみで、スポットで立ち寄るという感じだ。まあ、バスの機動性をうまく生かして柔軟なルート設定をしている、ということだろう。

 

志津川駅:道の駅と、震災遺構・旧志津川駅へ

志津川駅には13時37分着。

ここも道の駅に隣接する。震災後、幾度も移転を繰り返し、BRTとしては4代目の駅にあたる。この4代目が最終形のようだ。

後ろの建物が駅舎兼道の駅。

ここでBRTが交換(?)するようなダイヤになっている。

 

みどりの窓口はないが、道の駅内に観光協会委託の簡易窓口がある。しかし現地ではあまりそういう雰囲気はなく、インフォメーションカウンターという感じ。壁にはJR志津川駅としての窓口営業時間が書かれているが…。うーん、せっかくだし切符ホントに買えるのか、きいてみればよかったかな。

ここが駅窓口・待合室といった感じか。こざっぱりしている。

 

駅には震災にまつわる展示館と展望スペースが併設されている。その向こうには南三陸さんさん商店街。また、川の向こうが震災祈念公園だ。
商店街はかなり賑わっていて、周辺にはキッチンカーや屋台も来ている。

展望室より商店街、その向こうは海だ。

なにか軽く食べようかなとおもい、ホヤの唐揚げを買ってみたらこれが美味しかった。程よい塩味と弾力があり、うまい。ホヤはいつか新鮮なやつを生で食べてみたい。

美味しい

 

活気ある道の駅・商店街エリアから、「中橋」を渡って川向うの祈念公園の方へ行くと、まったく雰囲気が変わる。

祈念公園として整備されたエリア。

ああ、あの防災庁舎ってここだったんだ…

風の吹き晒す平原の中に、大きな築山。その脇に残された防災庁舎の骨組みと駅ホーム跡を見て、この辺り一帯が街の中心部だったんだ、とようやく理解し、流石に気分が沈む。海風が冷たく感じる。

旧・志津川駅のホーム

鉄道時代の志津川駅跡に行ってみると、ホームやそこにつながる地下道が残されていた。かつての鉄道線を切るように道ができ、階段や駅名標を模したカンバンが整備中で、きっとここも震災遺構として残してゆくのだろう。

ホームに続く地下通路はかつてのままのようだ

見学に向けて整備中だった。駅のある築堤自体、道を通すために分断されている。

震災直後は気仙沼線代替バスもここを発着していたようだが、町の移転と公園の整備に伴い、もうそういう雰囲気は薄い。ただ秋の曇り空があるだけだ。


そういえばさっきから、たまに足元でシャクシャクと音がするな?と思ったら、この公園全体に大量のカタツムリが発生しているようで、コンクリから石灰を摂るのか、道の上にもびっしりとくっついて乾燥している。ああ、踏みつけちゃ申し訳ないな、ごめんよ…と思いながら、また中橋をわたり道の駅に戻る。

バスロケがある

一本あと、15時のバスでも良かったのだけど、どうにも気分が重くなる。14時37分、きたバスに乗ってしまった。1934K・前谷地行き。

 

志津川~柳津:一般道経由パターンに遭遇

それなりに人は乗っているが、後方海側席を確保。

「前谷地までの各駅にはとまりません」と、柳津〜前谷地の鉄道並走区間では、鉄道側の駅には止まらないことを案内している。なんだか快速電車みたいだ。

バスはまた専用道に入り…とおもったが、けっきょく柳津まで一般道を走行した。陸前戸倉から柳津までは、BRTの自動運転試験に使われているようで、この時期はずっと一般道経由だったようだ。22年12月より、人を載せてレベル2自動運転便の運行が始まっているとのこと。一方でその手前、志津川から陸前戸倉までも、海のそばを高架橋で抜けてゆくなかなか景色の良さそうな区間…なのだが、こちらで専用道を経由しなかった理由は不明。

志津川陸前戸倉ではなぜか専用道を走らないので、一般道側区間から専用道の様子がよく見えた。けっこうすごいところ走るな?

陸前戸倉から内陸に折れる。ここから先は実験のため封鎖中。

 

まあ、専用道で定時性を確保しつつ、かつ異常時には一般道を使うこと柔軟に対応…というのもBRTの長所だろう。

陸前戸倉では駅前のロータリーにつけたが、陸前横山は国道上に臨時バス停があり、こちらに停車した。BRTの各駅ではこういった「迂回運行時の臨時停留所」も専用道とあわせて整備されているようだ。

臨時バス停としつつかなり立派な標柱がある。

専用道を横に見ながら海を背に、一般道経由で山の中を進む。イマイチBRTの駅から駅から遠い「道の駅」をみつけ、なんだか惜しいな…と思ったりしていると、専用道を陸橋でまたいで柳津駅についた。

ここで下車

このバスはこのまま前谷地まで行くが、乗換駅を見学しておきたかったのでここで降車。一般道経由の場合は、路線バスと同じ駅前ロータリーにつけるようだ。

バスから降りたのは自分だけではなかった。2人連れが降りて、そのまま駅前にとめてある車に乗っていく。志津川のさんさん商店街へ行ったのだろうか?こういったパーク・アンド・ライド利用を見ると、やはり鉄道然とした利用があるのだなぁと感じる。

 

柳津駅

柳津駅は22年3月をもって無人化されたようで、立派なログハウス風駅舎には鍵がかかっていて入れない。レンタサイクルを貸し出していたような案内もあるが、これも借りられず。

駅舎とトイレの間の空間から跨線橋が伸びていて、鉄道線のホームに繋がっている。もともと1面2線の交換駅だったようだが、今は1面1線。

立派な駅舎はあるが、施錠されている。

ミニ独立国・みやぎ北上連邦! こういうの、まだのこっていたとは…

 

跨線橋を渡らずに、BRTの接続路にそって左手に進んでいくとBRTのりばがある。

このBRTのりばからも、またスロープで鉄道ホームに繋がっている…から、よくよく考えるとわざわざ跨線橋を階段で登らずとも、鉄道ホームまで行けるのだ。なんというか、特に意味のない跨線橋である。でも、上に登ると眺めがいい。

線路跡がそのまま道路になった様子がよくわかる。

まっすぐな専用道。かかる橋にちょうどBRTがやってきた。

BRTのりばは先の通り、自動運転実験でバスが来ないため塞がれていた。隣の待合室は開放されていて、鉄道ホーム上にあるそれよりも清潔な印象。ただ「ここにはバスはとまりません」という旨の放送が延々と流れ続け、バスロケも動いてはいないようだ。

BRTの待合室。広くて明るい。

バスロケは迂回運行を案内中。

さて…1時間ほど暇になってしまった。フラフラと街を散歩してから、次のBRTがつく前に早めにホームへ。

柳津のまちなみ。「中華そば」と「大福」を出す「西條もちや」が気になるが、日曜の夕方だからかやっていない。

列車は2時間に一本くらいか?記載が一切ない左側が物寂しい。

やってきたBRT(1938K・柳津止)からは18人ほどが降りてきたが、その全員がこのまま気仙沼線列車に乗り継ぐようだ。こういう移動が多いのなら、列車のない時間帯はBRTで直接前谷地へ、という形態なのも頷ける。バスから降りてきた人たちが自分の後ろに並んでしまい、しかしホントに立ち位置はここでいいのか分からず、やや焦る。

 

柳津~前谷地:鉄路として残る「気仙沼線

西日に照らされ、キハ110系がゆっくりと入線してきた。そのまま乗り込み席を確保。

折り返し、前谷地ゆきになる列車がやってきた

列車とバスをからめて。もう夕方だ。

16時26発、932D前谷地行き。このあとはまあ、そのまま列車の旅。暮れゆく仙台平野の端っこを眺めながら、ああ旅も終わるなぁと浸る。のの岳、という駅があり、地図で見て面白いなと思っていたから実物を見れてうれしい。

ふつーのキハ110、ふつーのローカル線だ。

列車は仙台平野をゆく。ずっとリアス海岸にいたし、こういう平野の景色が久しぶりだ。

ぼーっとしていたかったが、よく考えたら帰りの新幹線の予約をしておらず(東日本パスを使っていた)、「はやぶさ」が既に満員で焦って検索していれば、20分ですぐ前谷地につく。

前谷地の手前では石巻線車両と並走し、16時46分着。駅につくとそのまま石巻行・小牛田行にスムーズに乗り換えられるようになっていた。みんな降りて乗り換えてゆくが、小牛田方面への人が多いように感じた。

石巻線列車と並走、きれいなダイヤだ。

前谷地駅。ちいさいがターミナルの風格。

乗り換え列車もすぐに出てしまう。惜しむまもなく、私も小牛田行に乗り換えた。さよなら気仙沼線。5時間弱かけての旅となった。

 

むすび

なかなかBRTというのは面白いもので、鉄道っぽさは濃く残しつつ、バスならでの良さもうまく出しつつ、という印象。パターンダイヤで30分から1時間ヘッド運転、それなりの快速性も確保、となれば、あまり長距離乗らないなら使い勝手は良いのだろうな~と思う。

ただ、気仙沼線って、震災前は気仙沼~仙台2時間切りの指定席付き快速「南三陸」が運行されていた高速路線だったわけで…そういう長距離・高速運転要素がBRT転換でオミットされてしまったのは、まあ部外者ながら、少し残念な気もする。三陸道も全通したし、高速バスとうまく連携したりとか、広域交通については色々と模索が続くのかもしれない。

これから先はきっと、こういうローカル線も増えていくんだろうなと思う。とりあえず、専用道のあるBRTは気になるから、石岡とか日立とか、白棚線とかも行ってみたい。もちろん大船渡線BRTの方も。

海とBRT。ずっと穏やかであってほしい。

信濃路の”特別快速”に乗る【しなの鉄道 軽井沢リゾート号・2022年秋】

横川から県境をJRバスで越え、雨の軽井沢についた。といっても特に観光の予定はなく、これから長野まで向かう。ちょっとひねくれた帰省である。

 

 

軽井沢駅

バス停から少し歩いて軽井沢駅へ。3階の改札まで階段をあがるのが億劫で、地平にある旧駅舎口にゆく。窓口が閉まっていたので、券売機で切符を買ってホーム内へ。

あれ?

青色の電車が発車するのが見え、焦る。あれって乗る電車じゃない?でもまだ早いし… 駅舎の時刻表を見るついでに改札で聞いてみる。どうも、入れ替えを行っていただけだけで、このあとまた戻ってくるらしい。

しばらく後、その電車はゆっくりと入線してきた。

シックなデザインの青い電車、しなの鉄道 SR1系

しなの鉄道の「特別快速」

というわけで、今回は しなの鉄道の有料快速列車「特別快速 軽井沢リゾート3号」に乗る。

しなの鉄道は1997年の長野新幹線開業に伴って発足して以来、ずっと国鉄型電車を使い倒していたのだけれど、ついに新車が入ることになった。JR東日本E129系ベースのSR1系だ。

このときにデュアルシートタイプの特別車両を導入し、有料快速列車も運行開始。平日は「しなのサンライズ」「しなのサンセット」として、休日は「軽井沢リゾート」として、この青いSR1系が活躍することとなった。

SR1系特別車両は、深い青ベースにゴールドライン、そして水色・緑色のラインが入る。この水色と緑色、個人的には長野地区のJRおなじみ「信州色」モチーフだと思ってます。

青もあれば赤もいる。SR1系一般タイプのクロスシート車は赤・銀ベース(左)。開業当初からのしなの鉄道115系カラーとの連続性を感じるデザイン。
トイレがついたのが個人的にうれしい。

車内の様子

車内へ。いわゆるデュアルシート車、座席をロングシート・進行方向向きシートと切り替えられるタイプの車両。東上ライナーとか京王ライナーとか、首都圏の私鉄では最近よく見かけるが、地方第3セクター鉄道では初なんじゃないだろうか。

車内の様子。有料快速運用なので座席が進行方向を向く。

今回は連休初日なのもあり、念のため事前にWeb予約しておいた。予約時は席も選び放題だったが、出発時にはシートの窓側が半分埋まるくらいだろうか。2人組もそれなりに多い。見える頭を数えてみれば、私の乗る1号車には16人ほど。2号車も予約時はガラガラだったが、10人弱の乗車があるように見える。

 

それでもまだまだ空きはあり、当日飛び乗りできるくらいの込み具合。でも旅程に組んだのなら予約がお奨め。デュアルシート車の宿命か、窓と席とが絶妙にあっていないのだ。

景色を眺めるつもりであれば、1号車なら2・4・7・9列目、2号車だと8・10列目を。これ以外の席だと窓枠が横にあったり、後ろ向きだったり(1・3号)、やけに狭かったりする。

観光快速ではあるのだが、窓と席の位置がなかなか噛合っていない。

2号車1列目、車端席。絶妙な狭さで目の前はドアスペースの仕切りだ。それでもロングシートにしないあたりが有料快速の矜持というもの。

軽井沢リゾート1号・2号で、軽食付きプランに供されるテーブル付き席。ただし3号は軽食プランがない上、後ろ向きに座ることになる。

 

軽井沢→上田

じっくり車内を観察していると、もう出発時間。

向かい側のホームに入ってきた電車と入れ替わるように発車、定刻16時8分。

軽井沢駅発車。湘南色とロクサンに見送られて。

列車は小雨降る、どんよりと湿気の高い軽井沢を走る。これまでも、軽井沢は来たとき晴れていた試しがないな。

すぐにお隣の中軽井沢に停車。16時12分着、ここで1グループが降りたのには流石にびっくりした。指定席料金を払ってそんな短距離乗車を? 20分もしないうちに、次の普通列車もあるので謎だ。知らずうっかり乗ってしまったのか、いやしかし軽井沢だからな…セレブかもな…流石にそれはないか…

中軽井沢駅。今日はずっとどんより空模様。

 

特急ばりにカッ飛ばす転換三セク

さて、この次の停車駅はなんと上田である。この軽井沢リゾート3号はとにかく駅を飛ばすので、30分ほど無停車となる。

停車駅は軽井沢・中軽井沢・上田・戸倉・長野。

JR信越本線時代の特急「あさま」号の大半の便より停車駅が少ない。「あさま」が半数程度止まっていた篠ノ井はもちろん、全列車が停車していた小諸駅まで通過してしまう。これはなかなかだ。

特急「あさま」 横川の鉄道文化むら保存車両

もっとも、軽井沢→長野間の所要時間は65分。近い停車パターンの「あさま」はここを50分台前半で走破していたから、案外スピードダウンしている。

おそらく最高速度の関係だろう。「あさま」時代は最高120km/h、しなの鉄道移管後は最高速度が100km/hに引き下げられている。実際のところ、軽井沢リゾート号のなかでGPS速度計を見ていたが、出しても90km/hくらいだった。

さらに来年春には経費削減のため、しなの鉄道線は85km/hにスピードダウンが行われる予定で、90km/hでの走りも今のうちなのだ。(そして残念ながら「軽井沢リゾート3号」は来春改正で運転取りやめらしい)

 

列車は止まらずに飛ばし続けている。晴れていれば、このあたりで浅間山もよく見えるのだろうが、すっきりしない。日没も近く、明るい車内も相まって外が余計薄暗く見える。

平原駅。「ひらはら」の大書きされた車掌車駅舎がトレードマーク。

小諸あたり。どうもすっきりしないが、まあこんな日もある。

左手に小海線の線路が寄ってくると小諸を通過。ミュージックホーンを鳴らしながら、スピードは落とすものの、それなりの速さで走り去ってゆく。

 

気づけば上田だ。16時43分。景色を眺めていると案外早い。

上田、久しぶりにドアがあいた。

 

上田駅

上田では、見える範囲で3グループが下車し、5人位が乗ってきた。

降りた人は皆大きな紙袋を持っていて、きっと軽井沢でのショッピング帰りだろう。

軽井沢~上田間であれば新幹線も使えるが、近い時間で比較すると、新幹線自由席が2640円18分に対し、軽井沢リゾートだと1390円34分。ならまあ、結構選択肢としてアリではないか。リクライニングシートではないけれど確実に座れるし。

 

一方乗ってきた人は、おそらく私と同じく鉄道マニア(大きなカメラ持ってるし)と、あとは有料快速と知らないで乗ってしまったようだ。あとで車掌さんが来て料金を徴収していた。

となると、純粋な気持ちで(?)上田〜長野を軽井沢リゾート号で、という人は今回居なかったのか。上田~長野間は新幹線自由席1470円12分に対してリゾート号1280円30分、たしかにこれなら新幹線に乗りたい。

悪ノリで新幹線とのコスパ比較を始めたので、その北陸新幹線の写真をおいておきます。E7かっこいいよね。

ついでに蛇足、軽井沢~長野感は新幹線自由席が3210円31分、リゾート号は2710円65分。これだと軽井沢リゾート号は幾分分が悪い。しかし、往復だと新幹線自由席6420円に対し軽井沢リゾート号は3390円(フリーきっぷ2390円を利用)となる。これなら戦える!

もっとも、23年春改正ダイヤで減便と時間変更があり、長野から軽井沢までリゾート号で日帰り往復はできなくなってしまいますが。

 

上田→長野

上田を出ると一段と暗くなってきた気がするが、調べてみると日没まではまだまだある。西上田、坂城とどんどん駅を飛ばす。

坂城駅の169系。中はリクライニングシートに改造済みで、快適でした。

坂城には引退した169系電車が保存されている。このSR1系特別車両は平日の「しなのサンライズ」「しなのサンセット」にも使われるが、これはもともとこの169系が担当していた。SR1系にとっては大先輩だ。

ちなみに、しなの鉄道の通勤ライナーは、169系(ライナー)→189系(ライナー)→115系(無料快速)→SR1系(ライナー)と変遷している。

189系時代「しなのサンライズ/サンセット」の写真は持っていなかったので、共通運用だった信越本線妙高」を。篠ノ井線おはようライナー」も含め、この頃は189系が元気に走っていました。今思うとすごい時代。

そういえば、母校には田中駅から長野まで通っていた友人がいた。始発を逃すとライナーじゃなきゃ1限まにあわないんだよ、と、くしゃくしゃに財布に詰め込まれたたくさんのライナー券を見せてくれたことがある。今思えば、一枚記念にもらっておけばよかったかな。さすがに変なヤツだと思われそうで、どうも言い出せなかった。

 

坂城の先ではトンネルに入り、またミュージックホーンを鳴らす。

16時56分到着の戸倉で、1人が降りた。ここが最後の停車駅で、このあと車掌さんが巡回を始める。そういえば最初はワンマン列車だったはずで、戸倉からは車掌乗務なのか。JRに乗り入れる関係か、長野~戸倉のみ車掌乗務、という列車が昔から結構多い。

戸倉駅には車両基地もある。まだまだ国鉄115系もよく見かける。

車掌さんによる検札が始まった。私はネット予約をしていたので、特に声をかけられることもなく。予約状況は手元で見られるのだろう。上田から乗った人は指定券を持っていなかったようで、ここで料金を徴収されている。会話を聞いた感じ、車内だと券面上は戸倉→長野での発券になるらしい。どうせ料金は500円で変わらないしね。

かつて長野電鉄が来ていた屋代も通過し、千曲川を渡り、気づけば篠ノ井

篠ノ井駅篠ノ井線信越本線/しなの鉄道の合流する拠点駅だが、通過。

特急しなの(長野〜名古屋)が全列車止まる篠ノ井駅だが、ここも容赦なく通過し、しなの鉄道からJR信越本線へ。このあたりの風景はもう見慣れたもの。

犀川橋梁。奥は北陸新幹線。帰ってきたなあ。

新幹線高架と並走しながら今井駅川中島駅を通過して犀川をわたり、その先はゴルフの打ちっぱなし、ここの脇道のカーブ、昔写真撮りに行ったな…とか思うと、もう安茂里、マルコメ味噌が左手に見えてきたらすぐに長野駅だ。

長野駅の留置線に台湾カラー115系がいた。意外なコラボに登場時はびっくりした。

 

長野駅到着後のシート転換

17時13分、3番線着、お出口は右側。

このあとは折り返して戸倉行きの普通列車になる。戸倉は車庫があるから、そのまま車庫に入るのだろう。

到着後、普通戸倉ゆきに。

すべての客が降りたあと、一旦ドアをしめて、シートの転換作業が始まる。

1号車は完全に自動で、1列毎うにょ~んと動き、あっというまにクロスシートからロングシートに変わってしまった。

おお、まわっている

1号車。ロングシートモードに。

一方2号車は人手で転換している。テーブル付きシートがあるからだろうか?こちらはシートを180°回転させて進行方向向きにし、クロスシートのまま運用に入るようだ。

車端部シートはやっぱり足元が狭い。ここは正直、ロングシートのほうが座りやすそう。

テーブルもそのままなのね。

ロングシート車・クロスシート車を1両つづで、実質セミクロスみたいな感じ。

ドアが開くと乗客が乗り込んでいった。2号車はテーブル付きでコンセントも使えるから、乗りトクかもしれない。大荷物の人がテーブルの上にリュックや紙袋をおき有効活用している。テーブルのある分座席数が減ってしまうが、この戸倉行はそこまで混まないのか、問題なさそうだ。

17時40分発の戸倉行になる。

このあと6番ホームには妙高高原発の軽井沢リゾート4号が入線し、青いSR1が顔を合わせる。こちら4号は長野~軽井沢間を戸倉・上田だけ停車、61分で駆ける。

うーん、かっこいい

 

むすび

登場から2往復体制だった「軽井沢リゾート」も、長野~軽井沢間の2・3号は23年3月ダイヤ改正で運転取りやめ予定、で1往復となり、4号が日中帯の運転に時間がずらされる。しなの鉄道の次回ダイヤ改正では、減便・スピードダウンとコスト削減が中心になるようで(そのかわりパターンダイヤを導入するらしい)景気が悪いというか、人口減少の現実というか…。

 

そんな時世だからこそ、フラッグシップ列車の「軽井沢リゾート」には頑張ってほしいなと思う。この手の列車は色々と手の入れようもありそうだし、今後も気にかけていきたい。長野~妙高高原間も、そのうち乗らねばリスト入りだ。

しかし、地元で「Special Rapid」なんて表記を見る日が来るとはなあ…。

まさかりの北辺を描くバス【下北交通佐井線・2022年秋】

仏ヶ浦からの観光船で、下北半島の果て・佐井港までやってきた。もうシィラインの最終は出ているし、ここからの移動手段は下北交通のバスになる。

 

 

さいはてのバスターミナル:佐井車庫

佐井港から乗っても良いのだけれど、始発停留所の「佐井車庫」へ向かう。徒歩10分程度だったと思う。

西日が強い。廃船に海のちかさを感じる。

 

未舗装の構内、錆びた三角屋根。

そう、佐井車庫………さいはてのバス車庫。

3台分が収まるだけの屋根に、赤色のバスが休んでいる。右側の1台はずいぶん古そうだ。構内は未舗装。敷地脇のススキが秋の西日に照らされる。バス停は半ば、隣の敷地から伸びた草に飲まれている。

ここは以前SNSで目にしてからずっと来てみたかった。

時刻表。日5~6本がむつ市方面へ。他にもコミバスや通学バスが停まる。

さいはてと言いつつ、ここから先にもバス路線はある。

佐井村コミュニティバスは長後まで(火曜のみ福浦まで)走るし、下北交通・長後線も、磯谷まで19時台の片道1本が走る。前者は通院・通学バス、後者は通学バスとしての設定のよう。平日のみ運行になっているし、朝集落を出、昼・夕に集落に戻る運行…だから、外来者が乗るには厳しい。

運転士さんが隣の建物から出てきて、バスに乗り込む。エンジンがかかり、前面のオレンジのLED表示板は「下北駅」と表示。そのまま未舗装の構内を力強く進み出て、停車。

ああそこから乗るのね、とバス停前から車体を回り込むように前扉へゆき、整理券を取って乗り込む。

エンジンがかかる。少し新しそうな、真ん中のバスが動くようだ。

勝手がわからないが、とりあえずドアが空いたので乗り込む。

 

バス車内の様子

バスは前乗り前降り後払い。中扉は一応ついているが、ここは車椅子専用として封鎖されている。

例のごとく最前列の「オタ席」………前面展望が楽しめる、フロントタイヤ上の一段高い席、はコロナ対策で座れない。一番うしろまでズンズン進んで、最後部シートで海側となる左側に座る。

中扉。普段は塞がれている。

ここはバス全体が見渡せるし、後ろを振り向けば道の写真も撮れなくはないから、それなりに好きな席だ。

西陽さす車内。今はまだ空いている。

後ろを振り返って。車庫がより近くに見える。

佐井車庫→佐井

結局ここから乗るのは私一人だけで、時間になりバスは発車。2時間20分ほどの旅が始まる。下北駅までの運賃は2500円だ。

強い秋の西日を受けながら、佐井の集落の中を走る。なんだか眠たくなる。

知らない町を眺める、のんびりとした時間。

こんなのんびりした雰囲気はほんの一瞬で、15:44「佐井」からは大勢の人が乗ってきた。整理券を取るときにフィー!と音がなるので、その音と頭の数を数えてみると14人。カラフルなジャンパーとリュックを背負っていて、トレッキングや仏ヶ浦観光帰りの観光客とみた。まあ、私もその中のひとりだが。

佐井港・佐井バス停のある「アルサス」
交通ターミナルであり大講堂であり博物館であり宴会場であり展望台であり、お土産屋さんであり、食堂でもある。

中心部といった感じで、多くの商店が並ぶ。

「佐井」は、シィラインや観光船のターミナルとなっているアルサスの前にあり、近くには商店も多い。この日はピザハットの出張販売が来ていた。
710(なないちまる)というコンビニがあり、午前7時から午後10時までの営業が由来のようだ。(ただし時短営業中)

来る前に寄ったのだが、中は至って普通のコンビニの品揃え。大好きなアーモンド効果もある。お酒の棚がレジ横に重厚に聳えていたし、もとは酒屋さんだろうか。

ちなみに、最寄りのセブン-イレブンは海を渡った函館だ。

 

佐井→大間崎

バスの座席は一気に埋まり、すぐの発車。下北半島はよく「鉞(まさかり)」に例えられるようで、ここからバスは大畑まで、まさかりの上側をなぞるように走る。

海、そして風車。なんとも雄大車窓だ。

そういえば、佐井車庫を出たときから運賃表示機が「黒岩」のままだ。

壊れているのか?とおもったけどそうでもないらしい。黒岩を出ると「新釜」と表示されるが音声では「次は材木」という。

謎だ…が、たぶん運賃境界のバス停を示している、つまり次が材木だろうと「新釜までの各停留所の運賃はこちら」なのでは無かろうか…と推測。昔の運賃表示機はロールシート式であり、こういった「○○まで」で表現していたというから、機器が更新されても表現方法が変わらなかった、ということかもしれない。

 

この表記法、外来者にとってはなかなか混乱する。目的の停留所よりも前でボタンを押してしまう人がちょいちょいいた。ローカルバスは乗ってみるまで全く文化が分からず、それが怖いところであり、また一番面白いところでもある。

「材木」のバス停は名前の通り?木製の立派な待合室があり、ここで時間調整のため少し停車。

材木バス停。これからの厳しい冬を考えると、この待合室も必須だろう。

車窓から見えるのはまず海、木立、草原、あとは風力発電機。太陽光発電のパネルもたまに。

風車は結構多い。風、強そうだし…。

風車は回っていないものも多い。形も1機ごとに違いがあり不思議で、実験設備のようにも感じる。


縫うように、という表現が似合うような、道路と海岸線とはついたり離れたりしながらも並行する。車窓は絶景、しかしそれ以上に西日が強烈だ。結構ガタガタと揺れるが、道由来なのか、はたまたバスの最後部だからか…。

原野、風車、そしてたまに集落、というところに2車線道路が貫く、がこの辺の基本的景観だろう。

西陽は強烈。10月半ば、旅人は日の短さを感じてしまう。

佐井を出てからこのさき下風呂のあたりまでずっと、パトランプのついているプレハブ小屋を見かけた。赤い光がぴかぴかとバスの中まで激しく主張してくる。

なんだろう?

いくつもあるがそのうち「工事車両マナー監視中」と見えて、また右上に「JPower」のロゴがついている。発電所の工事でもしてるのか……ああ、大間原発か!!!

国道から大間の町へ折れた道。この写真だと左手奥の方に原発があったらしい。

なるほどこの道は主要な運搬ルートなのだろう。流石に原発だし、相当に気を使いながらの工事ということか。当の大間原発は乗っていて気づけなかった…が、そういえば色々建物が見えていて、あの辺りかなぁという雰囲気はわかる。

この交通監視所は特に気を使うべき集落近辺に多く、下風呂まではしばしば見かけた。

 

国道から折れた先、「中磯」バス停でしばし時間調整。

中磯バス停も待合室があった。後ろのススキ原が美しい。

そのまま海の方に向かい、ホルモン焼きの店(気になる)の前をすぎると「フェリー乗り場前」につく。

津軽海峡フェリー・大間函館航路の乗船場だ。きれいなターミナルビルだが、フェリーの姿は見えない。函館行の終便は14:10に出てしまっていて、一方大間につくのは11:00と18:00…だからこのバスからはまったく接続がない。

フェリー乗り場は閑散としていた。

乗り降りする人はおらず、ターミナルの前をぐるっと回って通り過ぎる。
次は「マエダストア前」。店舗名がそのままバス停なんて、しかしローカルだなぁと思っていると、大きなロードサイド店舗が見えてくる。

「マエダストアー前」周辺。かなり賑わっている。

ああ、青森の大手スーパーはマエダストアというのか。他の街で言う「イオン前」みたいなもので、何も変なバス停名ではなかった。すぐ近くに大間町役場もあり、こちらが自動車時代の大間の中心地、という雰囲気。

そのまままた折れて、大間の街を下ってゆく。かなり狭い坂道だが、バスはずんずんと踏み込む。16:11「大間」バス停着、ここで2人が乗ってきた。佐井を出てから初めての乗客だ。

個人商店にも大きなマグロ。

大間の街をバスが縫う。日和町(ひよりちょう)という暖かそうな名前のバス停を過ぎ、次は「大間崎」と流れると降車ボタンが押された。

 

大間崎→下風呂

ビジターセンターの建物の前にとまる。ここで4人が降り、5人が乗ってきた。バスが発車すると岬のモニュメントが見え、ああここが本州最北端…と感慨に浸る。すぐ通り過ぎてしまった。

本州最北端。右奥に弁天島が見える。

さらに16:21「朝日町」で1人を追加し、バス車内の座席はほぼ満員に。まだまだ先は長いが、こんなに乗っていて大丈夫だろうか?

公園かなとおもったら昆布の干場だったり、厳つい漁船の並ぶ港があったりと、海の香をガラス越しに味わう。

昆布干し中の皆さん

16:27、病院ロータリーから玄関前に乗り付けて「大間病院前」着。ここからは3人が乗ってきた。通院帰りだろうか?

バスが付いてすぐ、病院の自動ドアを警備員さんが手で締めている。このバスが出たら病院も営業終了ということなのだろう。

大間病院エントランス

大間病院はこのあたりの基幹病院のようで、他の佐井線の乗車記を読むと、平日の乗客はほとんどがここの利用者だ…という記述もある。佐井車庫で話題に上げた、佐井村コミュニティバスの最終目的地もここだ。このあたりの公共交通需要は、おおむね観光地とこの病院が生み出しているという感じか。

さらに、大間高校・大間中学校もこのすぐ近くだ。通学需要もあるならば「大間病院前」バス停の利用者はかなり多いのかもしれない。

 

更に3人乗ってきたので、バスはぎゅうぎゅう詰め。前の方に座っていた人は余裕のある最後部座席に詰め、お年寄りには入り口へ近い席を譲る。

 

潜石(もぐりいし)、蛇浦(へびうら)と海辺らしいバス停名の数々に喜んだり、干されている昆布を見たり、またはパトランプ輝く交通監視所を気にしたりしながら、引き続きバスに乗る。

暮れゆく海

16:37に「易国間(いこくま)」到着。風間浦村の役場がある集落だ。1人が降りていった。

易国間から先、一度災害で崩れているようで片側交互通行区間がある。しばらく待ってから通った橋の部分には、仮道を通していて、上流には砂防ダムが見える。土石流が起きたのかな…。

修繕の道路。真新しいコンクリートが眩しい。

すっかり暗くなってきたが、また大きな街の中に折れていく。旅館街が続く…ここが下風呂温泉か!!

正直、この温泉には強い憧れがあり、ずっと泊まってみたいと思っている…が、旅程にうまく組めず、宿の予約も結局せず、今回はスルー。またいつか。

下風呂の旅館街

バス停徒歩0分の温泉「海峡の湯」

「下風呂温泉」には16:52着。海峡の湯という温泉の前に止まる。3人が降りて、1人が乗ってきた。脳内に暖かそうな温泉が思い浮かび、ここでの途中下車も考えたが、このあとの旅程を考えて車内に留まる。(次は終バスで1時間半後だ)

 

下風呂→大畑

甲(かぶと)を過ぎて赤川(あかがわ)に差し掛かるとまた片側交互通行。ここも大規模な迂回路が設定されている。集落の中というのに増水は橋ごと流してしまったようだ。

赤川の工事現場。家並みのなかにあり、ちょっと大変なことが起きたのかもしれない。

そういえば、このバスについて調べているときに、随分前の区間運休のお知らせを見つけて不安になった。ここのことか、うむむ…。

あたりはだいぶ暮れてきて、見える海も薄暗くなる。車窓には海辺に建つ学校が見えたが、教室内には机も椅子もない。廃校だろうか。

「つぎは木野部峠(きのっぷとうげ)」と案内が入り、バスはカーブの多い山道を登坂車線で登り始めた。海岸沿いは難地形なのだろう。カーブを切るたび、左右にGがかかり揺さぶられる。

木野部峠。きのっぷ、の響きにはアイヌ語を感じるが、どうなんだろう。

ちなみに「木野部峠」はホントに峠の部分にバス停があったが、果たして誰が使うのだろうか。バス停を過ぎると再び下り。道路からは一瞬海と街明かりとを見下ろして、いよいよ大畑の街が近いか。


1708の「二枚橋」あたりで、建設が進められたものの開通しなかった未成線・大間線の遺構が残されているのが見えた。実は、下風呂の有名なアーチ橋はボーっとしていて見損なってしまったのだが、他の場所にも立派なアーチが残っている。

大間線遺構。これもいつかは巡ってみたいものだ。

もし大間線ができていたら…今回の旅はどんなものだったろう。

佐井からのバスを大間港で降り、ディーゼルカー(きっとキハ110だ)に乗る。線路は高めの場所にあって、見下ろすように海を眺め、街ごとに人をのせ、下北駅まで……そんな情景が浮かぶ。きっと大間や下風呂の風景もまた違ったものになっていただろうし、列車交換待ちで外の空気を吸ったりもできたかも。

まあ、仮に開通しても、2022年まで廃止されずに残っていたか、微妙なところか。

             

17:10「湯坂下」で1人降り、そして大畑川を渡る。もう大畑の中心部だ。

広くゆるやかな流れが、港町らしい。

 

そのまま「大畑駅」には17:13着。

駅、とはあるが、鉄道(国鉄大畑線→下北交通大畑線)は2001年に廃止されてしまっている。しかし今でも立派な駅舎や線路、車庫が残されていて、車庫の中に稼働状態のディーゼルカーが眠っているという。

大畑駅舎。いまも、出張所・バスターミナルとして現役だ。

大畑駅では5分ほど止まり、その間にトイレや休憩となる、と下調べの際情報を得ていたけれど、この時は外に出る人は居らず、みんなでそのまま待つ。

地元民でなければこういったお決まりは知りえないし、やはり今日は観光客が多いのか。あるいは少し遅れているから、というのもあるかも。2分停車後、17:15に「大畑駅」を発つ。
1人が乗ってきたが、これは下北交通の人だろうか??乗客という雰囲気ではなく、周りのお客さんの質問に答えるなどの対応をしていた。

 

大畑→むつバスターミナル

大畑駅から先は、下北交通・むつ線として、公式の時刻表も別れている。おおむね1時間に1本が設定されていて、大畑線の鉄道代替バスとしての役割も担う。

日は暮れたが、しばしば乗降がある。まだ大畑の街の中のようで、乗車人数は段々と増える。17:21「水木沢」で1人、17:25「鳥沢」で1人、17:28「浜関根口」でも1人。じわじわと人が増えるも、うまく詰めて、みんな座っている。

 

すっかり暗いが、青く鈍い空の下、家並みの形は辛うじてわかる。家並みの向こうは海のようで、水平線近くに眩い光がいくつもついている。

ああ、あれはイカ釣りの漁火だろうか。初めて見たが、思いの外はっきりと明るい。バスの中でも「あれはイカ釣りだよきっと」と声が上がる。

輝く漁火。けっこう明るい。

この真っ暗の向こうにもまた、大きな北海道があって、たくさんの生活があるんだよな、とひんやりした窓に顔を近づけ、感傷に浸る。

 

大畑の街を外れ、再び279号線に乗る。今度は海岸線から離れて、下北半島の細まった部分を横断する。17:40には「むつ中学校前」を通過。ここでの乗降はなかったが、むつ市(田名部)の市街地が始まった。

ローソンだ。だいぶ町に戻ってきた感じがある。

途中、降車ボタンを押した人がいるものの、どうも前方の表示器に「むつバスターミナル」と表示されていたので、押してしまったようだ。先述の通り、これは必ずしも次のバス停を示すものではないようで、止まったものの乗降はなし。

その「むつバスターミナル」には17:45に到着した。14人が降りたので、降車にも時間がかかる。服装を見るに、大半は佐井から乗ってきた観光客のようだ。このあたりの人なのか、または市内のホテルに泊まるのだろうか。

むつバスターミナル。今は普通の路上停留所になってしまった。

「むつバスターミナル」は、今年の6月まではバスレーンを備えた建物があった。発売業務や案内放送もあったりと、市内の交通拠点として機能していた。しかし今は取り壊されてしまい、バスは道路上、スーパーの前に発着する。

発車したバスはそのまま道の突き当りまで進み、ぐるんと180度方向を変える。JRバス田名部駅、とかかれた建物が見えるが、止まることなくまた来た道を戻る。ここはかつての大畑線田名部駅だったようだ。

むつバスターミナル、鉄道駅(下北駅)からはずいぶん遠いなと思っていたけれど、元々は中心市街地の駅前にあったのだな…と気づく。

ターミナル跡の更地。なにもない。

バスの車窓を凝視していると建物の間に大きな空き地が見える。ここがバスターミナルの跡地だ。3階建ての立派なターミナルも、すっかり更地になってしまった。もしまだ残っていれば、いっそ途中下車したのだろうけれど…。

 

むつバスターミナル→下北駅

その後も下北駅に向かってバスは進む。佐井線もむつ線も、バスターミナル止まりの便というのはわりとあるようで、「下北駅直通」と放送では案内している。車窓からは歓楽街や銭湯がみえ、またコンビニも何件も見かける。ローソンがやけに多い。

 

下北半島と聞けば、最果て…というイメージばかり先行してしまうけれど、むつ市はとても栄えた大きな地方都市。それでも青森・八戸までは鉄道で2時間弱かかる地であり、なんだか、うまく言い表せないが不思議な気分だ。

交通量も増えてきた。

バスターミナルを出てからすっかり空いてしまったが、さらに17:52「むつ郵便局前」で2人、17:55「緑町」で1人が降りた。このあたりは純粋な地元利用なのだろう。
前方、道路の向こうに駅舎が見えてきた。17:59、ついに「下北駅前」に到着。2時間20分ほどの旅が終わり、ついに終点だ。ギリギリで大湊行の列車とは接続せず、発車していくのが見える。

 

意外と言ってはなんだが、遅延もほとんどない。(定刻は17:55)

おつかれさまでした。

「回送中です」表示が灯り、去っていった。

佐井車庫~下北駅前の運賃2500円を運賃箱に入れ、駅前に降り立つ。乗客が降りると、余韻を味わう間もなく、バスはすぐに回送されてしまった。

駅周辺はかなり町の外れのようだ。日が暮れて寒いこともあり、あまり歩き回る気にもならず。そのまま駅で待って、八戸行きの列車に乗り込んだ。

下北駅舎。小さめだがキレイで暖かい。

盛夏の大蛇で風を浴びる【木次線 奥出雲おろち号・2022年夏】

「奥出雲おろち号」は、島根県広島県を結ぶ「木次線」を運行する観光トロッコ列車で、結構長い歴史がある。ずっと気になっていたが、車両老朽化によりもうすぐ廃止されてしまうらしい、とニュースを聞く。

ああ、そうなのか、結局また乗れずに列車が去っていくのだな…と思いながらも、私の手はスマホでe5489(JR西日本のWeb予約サイト)を登録しはじめていた。乗るなら、今しか。

 

旅程を決める

いざ乗ろう!としても、関東在住者にはなかなかハードルが高い。基本的には土日と夏休み期間の運転である。出発の10時8分に木次駅にいるためには、当日出雲市につくサンライズ出雲では間に合わない。

夜行高速バスか、当日初便の飛行機+タクシーみたいな手もあるけれど、うーーん、せっかく出雲に行くのだし、初めてだし、観光したいよね…と、まだ指定席をとってもいないのに予定を練り始めた。

木次へ行くにも、泊りがけでないと厳しいのだ。

なるべく長く乗りたいよね、と日曜日の出雲市駅延長運転便を狙うが、事前申し込みの抽選に外れまくる。

 

なら、比較的競争率が低そうな夏休み期間の平日を狙う(ちょうど1ヶ月後は私も夏休みだ)。すると、備後落合→木次の片道だけが取れた。

やった!と喜びもつかの間、どう考えても備後落合駅で3時間くらい待つことに。備後落合へは木次線芸備線があるけれど、一日3本とか5本とかの超弩級ローカル線だ。

切符はとれたのに駅までたどり着けない、という

仕方なし、これは払い戻そう。もうe5489で10時(指定席発売開始時間)ジャストで申し込んでやる! 

窓際じゃなくてもいい、備後落合行きか、出来たら往復で乗れれば!と意気込み操作していると、あっさり往復で取れてしまった。あっけない…。

ついでにうっかり同日のサンライズ出雲まで取った。これで一件落着、出雲旅行を楽しむぞ~。

とりあえず出雲大社は行こう。

結局出雲には3泊(!?)して宍道湖周りをしっかりじっくり観光し、当日を迎える。

 

木次駅

出雲市駅にホテルをとったので、山陰本線木次線と乗り継ぎ、木次線の分岐する宍道駅へ。トロッコ列車木次駅からの発車なので、まずは木次行の列車に乗り継ぐ。

ロングシートの1両編成、山陰線列車の接続を受けて全席がサラッと埋まる。リュックサックとカメラを持つ、おろち号に乗るんだろうなという旅行者が多そうな雰囲気だ。

宍道→木次まではキハ120形、JR西日本のローカル線ではおなじみの車両だ。

宍道駅から40分後、木次駅に到着。

機関区につながる側線には青と白の車両が留置されている。おろち号だ!

宍道から乗ってきた普通列車とは、同じ2番ホームからの発車。でも、駅舎のある1番ホーム側で写真を撮りたいな、と構内踏切を渡ってスタンバイ。

いったん備後落合方面へ引き上げた後、駅へ入選する。

ロッコ客車のお顔。だいぶ改造されているが、もとの客車の雰囲気がけっこう濃い。

おろち号が入ってきた!みんな一斉にカメラを向ける。

先頭に立つのはDE10形1000番台ディーゼル機関車、貨車の入れ替え用に貨物駅によくいるイメージだけど、最近は引退が進んでいる。

後ろには客車が2両、機関車側は控車扱いの客車、反対の先頭側は窓のないトロッコ列車になっている。

編成は下記の通り。

(←木次)DE10-1161 + スハフ12-801 + スハフ13-801(落合→)

さっきまで乗ってきた普通列車は微妙に移動し、おろち号と縦列停車。

写真を何枚か撮るが、意外とすぐに発車時間となってしまう。乗り込んで席を探す。

指定席券は1枚だが、普通の客車=控車(スハフ12)と、トロッコ客車(スハフ13)と、両方の車両に1席づつが確保されている。トロッコ列車は硬いベンチシートだし、雨が降ったら大変なので、避難用として普通の席の車両も用意されているというわけである。

ゆえに総定員はたったの64人で、機関車含めて3両編成での運行と考えると、かなり贅沢だ。

 

車内の様子

ロッコ車であるスハフ13-801。窓が取っ払われていて、とても開放感がある。

開放的なトロッコ車。

シートは写真のように、外向きベンチ席と、向かい合わせ4人掛けのボックス席がある。通常の列車の席配置とちょっと異なり、ABCDが横一列でなく、区画ごとに振られているのが特徴的。(観光列車でたまに見るパターン…というか、よく考えたらボックス席の特徴か。)

今回は往復で両方乗ることができたが、人と向かい合わせにならず、目の前に大パノラマが広がる外向きベンチ席のほうがお勧めかも。

ボックス席。ニス塗りの木製シート。ややくたびれを感じる。

外向きシート。3人が外(窓側)向きに、奥の1人がそこに対して横向きに座ることになる。

席指定があるとはいえ、意外と乗り降りでの入れ替わりが激しく、また控え客車の方に乗っている人もそれなりにいる。あえて立っている人も多い。結果として、満員の割に空席があるので、ちょこちょこ移動しつつ、みんな自由に座っている感じだった。

 

奥出雲おろち号は、いわゆる「ペンデルツーク」と呼ばれるシステムで、この車両は客車だけれど前方に運転席がついている。備後落合行きでは客車の運転台で機関車を操作し、後押ししてもらう。

スハフ13-801のちいさな運転台。

機関車の付け替えが不要なので、機関車牽引列車の多い欧州なんかではよくある運転方式。一方日本だと、大井川鉄道井川線や観光トロッコ列車くらいにしか例がなく、珍しい。私はこういうのが大好物、そもそもペンデルツークというのが、最初におろち号に興味を持ったきっかけだ。

他の「ペンデルツーク」列車の例として大井川鉄道井川線。後ろについている機関車がすべての動力を担い、先頭の制御客車から操作ができる。

 

運転台は片隅に寄せられているので、車両の先頭で前方を眺めることもできる。これは楽しい!

先頭部。左側のこじんまりとした部屋が運転席だ。

先頭の窓まで開く。そこ、開くんだ…。

まさか開くとはおもわず、乗り合わせた人が開けはじめてびっくり。

一方、トロッコ車両では無い方の控車、スハフ12-801の方は、普通の簡易リクライニングシートが並んでいる。観光列車らしい改造は特に無い。あくまで荒天時の緊急用と割り切った車両だろう。

控車は装飾もなく、「普通」だ。

かなり「ふつう」だが、とはいえ普通の客車列車自体が消えて久しいし、私も当時を知らない。マニアはむしろこちらで旅したくなるかもしれない。

私も、帰りとなる木次行では、グループ旅行と思しき同じ区画の人たちに少し遠慮してしまい、こちらにいることが多かった。

客車端からは見た機関車。この景色がとても好き。

 

木次駅出雲三成駅

指定席に戻って発車を待つ。

取ったときは、B席なので通路側か…と思っていたが、改めて座席表を確認すると外向きベンチシートの席だった。おかげで、前を向いて座っているだけでずっと大パノラマが広がるのだ。

本当に開放的だ。

発車まで時間もないが、ホームに販売カートが来ている。地場の木次乳業がアイスや牛乳を売っているらしく、これは買っておかねば!と急いで買う。夏の鉄道の旅といえば、新幹線であれ観光列車であれ、とにかくアイスというものだ。

思わず買ってしまう、駅弁ならぬ駅アイス。

しかし、発車時間の10時8分を過ぎても、なかなか出発する気配がない。

どうも今朝発生した山陰本線の遅れが響き、木次線の代行タクシーから乗り継ぐお客さんを待っているようだ。乗ってきた木次線は、接続する特急列車を待ってからの発車だったはず。でも、だいぶ慌ただしく、乗り継ぎに失敗したのだろうか。それとも、もっと別の場所で混乱があり、どうしても間に合わなかったのか。

 

大変だなあ…とか考えながら、アイスが溶けそうなのでチマチマ食べながら待つ(おいしい)。結局24分遅れて、10時32分ごろの出発となった。

とかく待つしか無い。アイス溶けそうだし食べちゃおう。

 

列車は全席指定ながら各駅停車。全く同じ時間帯の出雲横田行きは、奥出雲おろち号が走る日は代わりに運休となるようだ。先程の代行タクシー対応も見るに、土日と夏休みの木次線は奥出雲おろち号を中心に回っている感じがある。

 

走り出せば、窓から凄い勢いで風が入ってくる。テーブルに不用意に何か置いておくと飛んでいってしまいそうで、実際に「軽いものは飛びますよ」と案内放送が入る。トンネルに入る瞬間気圧差で大きな風が吹き、隣の人の指定券がどこかへ飛んでいく。

おかげさまで夏らしい晴天に恵まれた。トロッコ日和だ。

トンネル内では天井のランプが良い雰囲気。

トンネルの中では天井のランプが灯る。ひんやりとした空気も相まってなかなか良い雰囲気。トロッコ車両の真ん中には大蛇の飾りがあり、周りが暗くなると光っているのがよく見える。木次線で一番長い下久野トンネル(下久野出雲八代)では、写真を撮りに来る人が沢山いた。

 

日登、下久野出雲八代と各駅に停車していく。歴史の有りそうな好ましい駅舎たちがよく見えるのも、トロッコ列車の良いところだ。

日登。いきなりこんな駅舎がのこっているなんて!と思ったが、木次線では普通のようだ。

下久野駅。駅構内でシソを育てている。

出雲八代。駅舎の形というのはある種制式化されているのだけれど、それでもウン十年と使っていれば個性が出てきて、見比べるのも楽しい。

どんどん緑が増えてきて、元気の良すぎる夏の木々の枝が、威勢よくバチバチと車体を前からひっぱたく。窓に近寄りすぎたら一発洗礼を食らいそうだ。そして景色が開けると、田畑や山々、青空が広がり、赤褐色の石州瓦で彩らえた民家が爽やかな景色を引き立てる。

パチンパチンパチンパチン、ザッザッザッザッ、と、前の方から木々が車体の枠をひっぱたいてくる。

山陰らしい石州瓦。赤でも黒でも、なめらかな光沢が夏に映える。

不思議だったのは、意外とさっさと降りてしまう人が多かったことだ。まだ木次を出たばかりなのに、だんだんと席が空き始める。

降りるお客さんに対しては、車掌さんはトロッコ客車から身を乗り出して切符拝見。

この先の出雲三成で木次行の普通列車と行き違うが、それで木次へ戻るのだろうか、案外こういう「チョイ乗り」もあるのだなあ。まあこちらとしては、席が空いてくれるので、いろいろ移動して座ってみたりしていた。

 

出雲三成駅では団体ツアーが乗ってきて、先程空いた席を席をまた埋めていく。そうか、出雲三成からは予めツアー会社が抑えるなら、木次~出雲三成間は席が空いていることになる。さっさと降りた人はその空席区間を狙ったのだろう。

出雲三成駅。列車交換もできる大きい駅で、奥出雲町内では横田と並ぶ規模の街だ。

 

仁多牛べんとう

出雲三成ではお弁当屋さんが乗り込んでくる。「仁多牛べんとう」という肉系駅弁の車内販売が始まった。

これは取り置きができるので、前日に予約しておいたが、その際に「三成駅停車中に受け取ってくださいね」と言われていた。この列車は遅れているし、すぐに発車してしまうだろう。買いそびれたらこの後ずっと飯抜きだし、それ以上に申し訳ないぞ、と、早速受け取りに行く。

しかし列車が走り出しても、そのまま販売員さんが乗って弁当を配っていた。焦らず席で待っていてよかったようだ。1000円を渡し、弁当を手に入れた。

車内販売がはじまる。

仁多牛べんとうは…見た目は牛丼で、実際に牛丼だ。

しかしなんというか、夏に飲む冷えた水のごとく体に自然に入ってくる感じが凄い。うまく例えられないのだけれど、味はそう濃くなく、しかしこのうまみは素材の味というやつか。

美味しいものを食べると目を細めてしまう癖がある。このとき、この夏一番の糸目だったと思う。

牛丼というもののポテンシャルは実はすごく高いのだなと思い知らされ、いや、とにかくうめえな?と夢中で食べてしまう。列車に乗りながら、風に当たりながら食べる駅弁というものほど最高もないと思うが、それが美味しければもう天国だ。文章にまとまりが無くなってしまった。

すべての素材が地元産らしく、究極の地産地消とのこと。仁多はこのあたりの郡名であり、平成の大合併で奥出雲町が出来るまで、三成を中心とした仁多郡仁多町も存在した。

 

 

出雲三成出雲坂根

奥出雲おろち号では、予約弁当販売が各駅である。木次では鯖寿司の弁当とか、亀嵩のそば弁当とか。実はそば弁当も気になっていたのだが、あいにく蕎麦屋さんが定休日の火曜日に乗ってしまった為、食べられず。タイミングが悪い…。まだ全然お腹に余裕がある。

亀嵩駅。駅前二蕎麦屋さんがありお弁当を出している…が火曜日はお休みだ。

亀嵩に停車する。砂の器で有名、という知識だけはあるが、結局まだ映画も本も読んだことはない。しかし雰囲気のある駅だ。

 

お次は出雲横田。ここはかなり大きな街で、駅前にいい感じの旅館が多くある様子。いつか泊りがけで、じっくり歩きたい街。

出雲横田駅は、注連縄が改札口にある。重厚な木造駅舎とよく似合っている。

この先はがくっと列車本数が減る。奥出雲おろち号を入れても1日4往復、それが走らない普段の平日は1日3往復しかない。

今年(2022年)に入り公表された、JR西日本の閑散区間別営業成績でも、出雲横田から備後落合は営業係数6596…つまり100円の運賃収入を得るのに6596円の支出だったという、日本有数の赤字区間だ。しかもコロナ前、2017-19年の平均値でである。

 

しかし、それだけ運営費用がかかるのも納得の、物凄いところを通っていくのだ。いよいよ木次線のハイライト区間八川駅出雲坂根駅と進み、その先は有名な三段スイッチバックで山に挑む。

八川駅。しかしこのスタイルの駅舎が多く残る木次線、改めてすごいな。

目前には大きな山が迫る。

沿線の駐車場から子供たちが手を降ってくれていたりと、観光列車の楽しい瞬間もありつつ、列車はまた夏の奥出雲を走る。列車の走る谷はだんだんと幅が細くなり、ここが詰まったところに出雲坂根駅スイッチバックの出発駅だ。

と、高まる期待を前に、坂根の少し前手前で列車は止まってしまった。

 

 

倒木発生!

なんと倒木が発生したらしい。

車両前方には人だかりができていて、その隙間から見せてもらうと、しっかりと木が一本横たわっている。メチャクチャ太いというわけでも無いが、しかし、力付くで動かしたり折ったりするのは容易そうではない。

この時点で12時頃。遅れがなければ三段スイッチバックを走行中のはずだが、またまた遅れてしまいそうだ。

あちゃあ。

この区間、始発列車のあとは奥出雲おろち号まで数時間は列車がない。その間に木が倒れてきてしまったのだろう。

 

しかしどうするか。普通列車用のキハ120はノコギリが積まれているらしいが、奥出雲おろち号にはその装備がないそうだ。車掌さんより「いまから乗務員で押して動かしてみます!」と放送があり拍手と激励が起こるも、結局動かせず。

こう、昔の話だとこういうとき、乗客総出で押して動かしたりするよな、とも思ったが、まあ令和の今はコンプラ云々でそういうわけにも…である。

何事かと人が少し集まってきた。

下の方には工事現場があり、そこからなんとかノコギリが借りられないか、という話になる。心配して見に来た人もいるが、下の道と線路とで高低差が大きく、声が届かない。出雲三成から乗ってきたツアーの添乗員さんも、宿に連絡を入れたりと大変そうだ。

 

やることがないので、車内を見て回ったり、乗り合わせた人と「どうなるんでしょうね~これ」と話したり、外のトンボを撮影したりしてぼーーっと過ごす。こういうトラブルはもう待つしかない。

トンボ。オープンなトロッコ客車だから、こういった虫があっさり車内に入ってきたりする。

停車から30分以上過ぎた頃。なんとか借りられたノコギリで頑張る乗務員さんの姿が!

結局、下にある延命水の建物に電話し、そこからお隣の工事現場に頼んで、少し先にある踏切を経由してノコギリを借りられたようだ。運転手・車掌の2人がかりで倒木の撤去が始まった。前の方から歓声があがり、どうやら無事切断できたらしい。戻ってきた車掌さんたちを、乗客みんなが「本当にお疲れ様です!」と拍手で労う。

 

結局、12時42分に再出発。それからすぐ、出雲坂根駅に到着した。

にわかに活気づく出雲坂根駅

先程の工事現場の人がノコギリを回収しに来ている様子を眺めつつ、駅ホームに降りてみる。列車はなにせ1時間も遅れているので、いつ発車するのか分からないので程々に…と思っていたが、かなりの人が駅前の方へ行っていた。物販などがあったのかもしれず、とどまってしまったのが少し惜しい。

実のところ、ここで進行方向が変わるので、駅にはそれなりに長く停車せざるを得ない。

 

3段スイッチバック

ここからは、木次線名物の3段スイッチバック区間だ。先頭の展望スペースに人が集まり始める。出雲坂根駅で先程までとは逆方向に出発し、さっき通ってきた線路とは分かれ、山側へ。

出雲坂根駅の先は行き止まりで、線路はサビつき緑に飲まれている。

先程までとは逆に、機関車を先頭に進行。右側にカーブで消えていくのが、出雲坂根駅到着時に通った線路。

人工物は線路くらいしか見えないような緑の中をしばらく走る。すると唐突に屋根が見えてきて、列車はそのなかへ中へ突っ込んでいく。「折返線」と呼ばれているポイントで、ここでまた進行方向を変える。

 

この辺は冬場かなり雪が降るから、折返線が雪で機能しなくなるのを防ぐための屋根だろう。雪国のスイッチバック駅、例えば旧信越本線二本木駅なんかでも見たことがある。

屋根の中へ吸い込まれる列車。

中はこんな感じ。転轍機や信号施設などを守るのだろうか。

そういえば、ホームのない折返線、運転士はどうやって移動しているんだ?と思っていた。

実際は、一旦列車を止めてから、機関車の運転台から客車の簡易運転台まで、客車の中を通って移動するようだ。機関車から客車までは一旦外に出なければならないが、線路際に降りるのか、車体側面の通路を渡るのか…これは結構大変そうだ。

運転士の移動のため、車掌により機関車とつながる貫通扉が開けられた。

 

再びトロッコ列車を先頭に発車し、列車はさらに高度を上げていく。ずいぶん下の方、木々の間に赤い屋根の建物が見え、あれが出雲坂根駅だ。

出雲坂根駅舎が見えるのは、ほんの一瞬だけだ。写真を見返してみて初めて、ホームで手を振ってくれている人がいたことに気づく。

またえらく登ってきたものだ…と思っていると、車掌さんからちょっと横すみません…といわれ、謝って横に避ける。ちょうど立っていた窓枠のすぐ横に、放送設備やドアスイッチなどが設置されていて、ここから車内放送とドア開閉を行っているのだ。

写真左側の箱が「車掌スイッチ」で、車体両側で計2箇所設置されている。

そのあとすぐに「おろちループ」の車内放送が入る。山の中に突如として、白い巨大なループ橋が現れ、そして真っ赤なトラス橋が目に飛び込んでくる。みんな一斉にスマホやカメラを向けるが、夏の盛りで木々が伸び切っているのか、スッキリと全体を写真に撮るのが案外難しい。

木々のあいだにとぐろを巻いているようで、だから「おろちループ」なのか?

鮮烈な赤さのトラス橋。

ここを通るのは広島市雲南市を結ぶ国道314号線であり、1992年に開通。鉄道が2回のスイッチバックで稼いだ高度を、道路はループ線と巨大橋を駆使して登ってくる。

木次線が廃止されなかった理由として、並行道路の未整備、というのがあったらしいが、かなり立派な道路ができてしまったのだなあ…。

 

三井野原→備後落合

高度を上げきった列車は、民宿やスキーリフトの中を走って三井野原に到着する。ここで先程の団体ツアー客が降りていった。

三井野原駅。駅前には団体ツアーのバスが待っていた。

三井野原はスキー場の駅だ。Wikipediaを眺めると、そもそも駅を誘致するためにスキー場を開設したらしい。かつてはスキー列車が走ったりしたようだけれど、流石に今は列車でスキーに来る人は稀だろうか。そもそも木次線が冬季運休になりがち。

スキー旅館が立ち並ぶ。冬場は雪がすごいのだろう。

三井野原スキー場はわりと広いけれど、リフトやロープトゥごとにそれぞれ運営も料金も別であり、実質的には町営スキー場や旅館のロコスキー場の集合体。スノースポーツ好きに言うと、共通券のない志賀高原みたいな感じ(結局わかりづらい)。

もっとも、昨シーズン動いていたのはロープトゥ1箇所だけだったらしく、車窓から見えた立派なチェアリフトも運行をやめてしまっているらしい。

自然に飲まれるスキーリフト。別の場所にきれいなペアリフトもあったけれど、そちらももう動かしていないようだ。

 

 

三井野原を出ると、線路敷までも緑化度合いがすごいことになってきた。ホントに現役の鉄道線だろうか?島根-広島県境は三井野原駅を出てすぐのところにあったようで、意識しないうちに、すでに広島県内にいる。

写真のヒストグラム見たら緑だけすごいことになってそうだ。

油木駅。駅舎は新し目のプレハブだが、駅名標は古いものが残されている。

廃線敷を利用した散策路」とキャプションをつけても違和感がない。

ちょっと不安になる鉄橋。いやあトロッコらしいではないか。

木次線のハイライト区間出雲坂根三井野原、と思っていたが、その先備後落合までの区間こそ「本気」のローカル線区間だ。むしろこの区間こそ乗らなくては、前面展望を楽しまなくては…と、三段スイッチバック区間を過ぎて、随分落ち着いた車内で思う。いやまあ、じっくり味わえて嬉しいのだけれど。

油木駅に止まってから、しばらく走って終点・備後落合へ。

 

備後落合駅

だんだんと右手から線路が近づいてきて、これは芸備線か、と思っているとカーブの先で線路がいくつもに分岐し、とても大きな駅(木次線比)が現れた。使われてはいなそうだが、転車台まである。

山中の巨大ターミナル、備後落合駅へ。芸備線と合流する。

古びた転車台が右手に見えた。

ホームには制服を着た駅員さんがいる。あれ、ここ無人駅では?と思いきや、この方はボランティアらしい。駅では10人以上が待っているが、一体どこから来たんだろう?一本前の列車は、木次線芸備線も午前9時台。さすがに車で来たのかな。

13時39分、備後落合着。予定通りなら12時36分には着いていたのだが…。

 

先程手を降ってくれたボランティアさんが駅を案内してくれる、と聞いていて楽しみにしていた。しかし、流石に1時間遅れでその余裕はなさそうだ。「準備でき次第すぐの発車となりますので、折り返し乗車のお客様はお乗りになったままお待ち下さい」と案内放送が入る。

さっと降りてパシャリ。それにしても広い構内だ。

折角終点まで来たのに車内待機というのも悲しいが、しかし置いていかれたらもっと悲劇である。倒木はどうしようもない事情だし、それを地域の協力で借りられたノコギリで現場で切り倒し、今こうして再び動いているだけでも、ありがたく、凄いんだと思おう。

 

それでも、一瞬だけ降りてみた。地味に人生初の広島県着地である。

再び車内へ戻り、駅構内を観察。芸備線ホーム、超ローカル区間なのに、上屋のサインシステムは都会的な雰囲気で、何だか可笑しい。

そそくさと車内に戻り待つ。13時45分に、トータル6分で折り返しの準備を済ませ、おろち号はすぐに発車してしまった。これも、遅れがなければ12時57分発であった。

すぐにさようなら…。駅に残る人は、このあとどうするんだろう。

 

備後落合→木次

先程と逆回しで景色が流れていく。トロッコ車は今度は最後尾になるからか?先頭だった備後落合行ほど展望スペースに人気はなく、そこで写真を撮ったりして過ごす。

坂根まで戻ってきた。列車がいつ発車するのが分からず、私は精々機関車の写真を撮るのが精一杯だ。とはいえ結構、駅舎の方へ行っているひとも多かった。

ふたたびスイッチバックを下り、出雲坂根でも準備が終わり、外に出ていた乗客が戻り次第、すぐに発車。

木次行のおろち号は、交換待ちも兼ねて長時間停車が設定されているのだけれど、このへんも全部削って飛ばしていく。長時間停車で駅の周りを見て回るのはローカル線観光列車の楽しみの一つ…だけれど、まあ今日は仕方ないか。

 

車掌さんが、乗っている子供達に記念カードを配り始めた。ある駅で、おじいちゃんと一緒に列車を見に来た子供が待っていた。車掌さんはその子にも記念カードを渡していく。

「孫を乗せたかったんだけど、指定がとれなかったよ」と会話が聞こえた。やはり人気列車だ。

帰りはグループ客と乗り合わせてやや気まずく、結局控え客車の方で過ごすことが多かった。まあ、それ以上に、行きの備後落合までで濃厚な乗車体験をしたから、ちょっと「トロッコ疲れ」しているかも。

シート回転で思い切りが足りずにひっかかり、車掌さんに「大丈夫ですか?」と声をかけられる直前の写真。

やや苦労して簡易リクライニングシートを回転させ、ぼーっとすわる。リクライニングとはいえ古いものなので、角度はあまり思い通りにならない。とはいえ、トロッコ車の木製ベンチシートに比べれば遥かに座り心地は良い。

控車側だけ切り取ると完全に「ディーゼル機関車が引く客車普通列車」である。

デッキ付近。国鉄が残っている。

まったくふつうの客車の旅、これはこれで、令和の今ではとても得難い経験だ…。と思いながら、リラックス状態になり少しウトウト。

 

出雲横田では回送列車とすれ違う。どうも奥出雲おろち号が遅れたので、備後落合14時台発の普通列車が運休となり、タクシー代行をしているようだ。区間運転のため送り込みで来たのだろうか?

回送列車とすれ違い。かなりダイヤが混乱しているよう。

出雲三成でも備後落合ゆきと交換。本当はこの列車を待つために20分間止まる予定で、逆に普通列車を待たせていて、すぐの発車。

それでも待っていた地元の人たちが、笑顔で手を振ってくれた。きっと物販なども準備していただいていたろうに…。こうなると、またいつか沿線に来なくては、という気持ちが強まる。

今度は真っ赤なキハ120と交換。タラコ色とか首都圏色とか呼ばれている国鉄時代からのカラーリングだが、コスト削減のため、JR西日本は鋼製車体のディーゼルカーをとりあえずこの色に塗っている。

して、ここまで飛ばしまくった結果、宍道行き列車の発車を待たせて木次で接続することになったようだ。更に宍道行きも、山陰線が接続するらしい。なんと、最大1時間の遅れを木次駅着10分遅れまで戻してしまい、その先もすべて予定通りの接続をとるというのだ。

どうも、特急やくもへの乗り継ぎが厳しい人がいたようで、乗り継ぐ人は車掌にお声がけください、と車内放送をしていた。遅れを取り戻し、調整もうまく行ったのだろう。

 

いやしかし凄いな。私もこのあとはサンライズ出雲で東京へ向かうつもりだったから、最悪ケースよりも随分余裕ができた。本当にありがとうございます。

帰りはちょっと曇り空。列車の最高速度は45km/hで、徐行区間も数多いが、それでも急ぎ足で列車は駆ける。

ふたたび下久野トンネル。トンネル出口の光がどんどん遠ざかる。

遮断器と警報機のない第4種踏切。ああ、ローカル線…。

結局あっという間に木次駅へ到着。乗り換え列車もすぐに発車してしまうので、足早に隣のホーム、宍道行き列車に乗り換える。

 

素晴らしい景色の一方で、運悪く立て続けのトラブルのたびに遅れが積み重なり、そしてそれを取り戻すように走る。最後は慌ただしくなってしまったが、ともあれ無事木次まで帰ってこれた。いろいろあっても、無事着いてしまえば楽しい旅でした。乗り換えて、出雲市駅まで戻ります。

乗り換えを待たせているので、手早く隣のホームへ移動。そういえば車内に水筒を忘れた人がいたらしいけど、無事手元に戻ったのだろうか?

 

結び

奥出雲おろち号は、2024年度をもって運行終了が決定している。

後継には観光列車「あめつち」が来るようだけれど、三段スイッチバックを含む出雲横田~備後落合間は運行しない。流石に急勾配で厳しいのか、しかしあの区間こそ魅力的なのに…。とはやはり思ってしまう。

でも、木次~出雲横田駅だけでも、沿線風景はとても魅力的。夏の空と緑に映える石州瓦の民家、急流にかかる鉄橋、あるいは古く魅力ある駅舎…という風景は忘れられそうにない。

発車する木次行列車の中からパシャリ。さよなら、おろち号

木次線、なかなか関東からだと乗りにくく、運行終了までに「おろち号」をもう一度!は厳しいかもしれない。

しかしまた、今回あまり出来なかった沿線めぐりに訪れたいなと思う。亀嵩の蕎麦とか、泊まれる恐竜博物館とか、まだ見ていないものが沢山あるのだ。「おろち号」が去っても、まだ魅力ある木次線としてなんとか残ってくれること、微力ながら応援したい。

 

(初稿2022/10/24、奥出雲おろち号運行終了に際し、2023/11/24改稿)

SL銀河の「帰り路」を追う【SL銀河/回8533D・2022年初夏】

釜石線を走るSL銀河のチケットが取れ、日曜運行の片道全区間を乗ることができた。

朝に釜石駅を出発し、花巻駅には15時半前に到着。このあとはSL銀河の回送を追いかけつつ、盛岡まで向かうことにしたい。

SLについていた運行表(右)。ハキ→モリ の「後回8533D」が今回とりあげる回送

 

 

この「回送」をわざわざ追いかけようと思うのは、このSL銀河の回送方式がちょっと独特だからだ。

 

SL銀河の車庫は盛岡にあるが、花巻に到着した時点で、機関車は盛岡とは反対側(一ノ関/仙台方面)を向いている。普通ここから盛岡方面へ回送となると、機関車の位置を付け替えたり、別の機関車を持ってきたり…という作業が必要となる。

一方SL銀河の場合は、そのまま機関車を後ろにつけたまま客車が走り出していく。SL銀河の客車は、実はディーゼルカーの改造であり、自走可能…というのは趣味界隈ではそれなりに有名な話。「客車に引っ張られて走る蒸気機関車」は、多分ここだけ…だと思うので、一度見てみたかったのだ。

駅裏から見送る。花巻電鉄の保存電車を見に行こうとして諦めました。

花巻駅周辺をうろついていると、大きな汽笛が聞こえてきた。駅裏手にいる間に、SL銀河はバック進行で発車していってしまう。しまった。

 

花巻空港駅:普通電車内より

自分も一旦駅に戻り、15時50分の盛岡行普通電車に乗り込む。

この空間好き。

東北本線を走る701系は、ワンマン運転のときは後ろ側の窓際まで近づける。そこにスタンバイし、次の停車駅・花巻空港に到着。

花巻空港駅へ。機関車がいた!

 

ホームを挟んでお隣、回送のSL銀河が止まっています。ホームにはカメラを持つ人が数人、機関車の近くでは乗務員さんが歓談中。

3~4人のギャラリーが見守ります。

一時期は空港アクセス手段がなかった花巻空港駅。今はアクセスバスが経由します。

普通電車なのですぐに発車してしまいます。そのまま先頭に立つ客車を見送り…。

このあとSL銀河回送は、日詰でも長時間停車する。適当な駅で降りて、客車が先頭になって本線を走るシーンを見ておいても良かったのですが、観光の欲求に抗えずとりあえずそのまま盛岡へ。

冷麺食べたかったし…

展望室とか登りたいし。

地下の食堂で冷麺を食べたり、公共施設の展望台に登ったりと、盛岡駅周辺でやりたかったことを済ませて、入場券を買って再び改札内へ。

 

盛岡駅到着シーン

盛岡には17時半頃にSLの回送が到着するようだ。7番線につくので、お隣田沢湖線のホームで待ち構える。

SLが目立たず、普通のディーゼル列車みたいだ。

ホーム先方からライトが見え、ゆっくりゆっくりとSL銀河が入線してきた。ホームにもギャラリーが数人程度。マニアらしき、動画を撮っている人が多いかな。

SLが後ろにくっついて、客車が自走してくる…のは、見た目にユーモラスさ、物珍しさがあるかな、と思っていたけど、案外そうでもない。SLが目立たないのもあるし、前日に釜石で客車だけ動くシーンをみていたからかも。どうも「そういうもの」として見れてしまう。沿線で走る姿を、こうサイドから見ればまた違ったかな?

今週末もお疲れ様でした。

到着後、蒸気機関車と旅客車はさっさと切り離されてしまう。いつのまに。

気づけば切り離しが終わっていた

ただのキハ143になり、回送。このあとは見かけず。

まず旅客車が青森方面へ回送されてゆく。こちらは盛岡駅の青森方にある車両基地に入庫する。ついで、蒸気機関車もバック運転で青森方のホーム端へ。

跨線橋より。ホームギリギリに停車。

駅の外からもよく見えるのだ

改札を出て、跨線橋を渡り駅裏のバス駐車場まで歩く。跨線橋にも駅裏にも、SLを眺めに来たらしき人がちょくちょくいる。改札外は特に家族連れが多く賑やかで、マニアがまばらにいるだけだったホーム上とは対照的。地元のちょっとした名物、鉄道好きの子の週末の楽しみ…として根付いている感じがした。

SL銀河、盛岡は回送でしか走らないのだけど、それでも週末にSLがいる…というのはなんだか羨ましいし、存在感がある。

 

駅裏で見ていたら、貨物列車がやってきた。スピードを落とし、ちょうど蒸気機関車に被る形で、大きな音をたてて停車。

大先輩と後輩

今の東北本線の主役は貨物列車なんだなぁ…という堂々たる長編成で、こうなるともう蒸気機関車は見えない。ただ、停車はほんの少しで、すぐ動き出した。

 

転車台と入庫

駅裏…盛岡駅西口から徒歩5分ほど歩くと、かつての車両基地の隅に転車台と機関庫が整備されている。ここ、見学ができるらしいと情報を得ていたので、そちらにも行ってみることにした。

あまり積極的にアピールはされていないようだが、入り口には駐車場がある旨、カンバンが立っている。

(矢印)このあたりにある。右下が盛岡駅

なんだか不安になる入り口だが、駐車場の案内が出ている。

ここ、行っていいのか?と思ったが、駐車場の案内が出ている。坂を登ってみるとちゃんと見学用通路が整備されていて、鉄道150年の横断幕もかかっていた。

坂を登ってみると大きな機関庫が。三角屋根レンガ風の意匠。

そして転車台

渋いねえ

青と黄色に彩られた釜石駅の転車台と比べると、かなりシックな雰囲気。個人的にはこちらのほうが好き。

SL銀河関連の転車台、2様。左:釜石駅、右:盛岡駅

駅隣接のビル・マリオスの展望台のにあった古そうな写真にかつての転車台が写っていた(右側写真)。今も、建物配置から転車台の位置は変わっていなそうだ(左側写真)。機関庫に隠れているけれど。

ずいぶん古そうだが、国鉄時代からここにあったものらしい。かつては盛岡機関区の転車台で、SLの運行開始に合わせて放置されていた転車台を復活させ、ついでに機関庫も建設したようだ。

今の盛岡の車両基地は駅を挟んで青森方にあるので、蒸気機関車だけこちらで休むことになる。

転車台脇にいた車両。SLを移動させるための機械かな?

三脚持ちで動画撮影をスタンバイしているマニヤ、自転車で来ている親子連れなど、ぱらぱらと人が集まり始める。多くても10人前後だった気がする。

たまたま転車台を見に来た人に「もうすぐSLが来るんですか?」と聞かれ「詳しくはわかんなくて…ネットの情報だとあと20分後くらいみたいですね」と話したりしながら過ごす。どうも盛岡市内でも、知る人ぞ知る…というポジションか。あるいは毎週のこと、日常として溶け込んでいるのか。

 

C58-239の入庫

18時を回った頃、遠くから汽笛が聞こえてきて、ドラフト音とともに機関車がゆっくりやってきた。

ゆっくり、ゆっくりと…

転車台へ!!!!

何度か停止しながら、蒸気機関車が転車台に乗る。そして回転開始!!

夕日がボディを照らす

機関庫の位置関係的にそこまで回転しない。時計だと2時分くらいだろう。

そのままバックし、機関庫にお尻を突っ込んで、整備が始まる。整備は18時15分過ぎ頃まで続き、そして機関庫へ戻っていった。

今週末もお疲れ様でした。

入庫。新幹線と絡めて撮ろうとして諦めた図。

いやあ、良いものを見れた。

そのまま盛岡駅に戻り、お土産を物色してから18時50分の新幹線で東京へ戻りました。それでも東京駅にも21時代には着くので、時間的に問題がなさそうならこの「回送&入庫見学」はとてもオススメしたいところ。

ここまで立派な機関庫も作ったんだし、SL銀河、車両リニューアルして運行継続しないかな~~。

青い銀河に乗ってきた【釜石線 快速SL銀河・2022年初夏】

釜石線を走るSL列車・SL銀河が運行終了、というニュースが出たのが去年。気になっていたこの列車、結局このまま乗りに行けないのは悲しいな…と思うも冬場は運行がなく。

6月に入って、そろそろ夏だし、どうかな?とえきねっとで事前申込をしたら、釜石から花巻の片道、後ろ向きだけど、窓側がとれてしまった。行くしかない!

とれちゃった

SL銀河の運行は、土曜日に花巻→釜石、日曜日に釜石→花巻、というのが基本。できれば往復で乗りたいのがオタクの性…、土曜日の便も取れないかな?とえきねっとを見つつセルフキャンセル待ちを粘るも、取れず。仕方なし。

別ルートで前日入りし、釜石駅前のホテルフォルクローロ三陸釜石に泊まって備えることとしました。

 

 

釜石駅:前日

前日、三陸鉄道宮古から釜石に移動。列車が釜石駅に近づくと、青色に塗られた転車台や待機する機関車が見えてきます。

今日は花巻から釜石まで走ってきていて、その後の整備中なのでしょう。

整備中の機関車。機関庫が星空模様で目をひきます。(列車内より)

客車は切り離されて、ホームからも見える位置で清掃中でした。

その後16時15~20分頃、客車のみ移動し、駅ホームにとどめ置かれます。

三鉄・釜石線列車と顔合わせ

客車は1番線につけていて、泊まったホテルフォルクローロ三陸釜石の部屋からも思いっきり見えました。今日はここで銀河と一夜を共にします、おやすみ。

カーテン開ければすぐそこに。
フォルクローロ、予約したシングルルームはすべて線路と反対側。そんなこと知らずに「線路のみえる部屋で」とリクエストをしてしまったのですが、なんと特別にアップグレード対応。ありがたや……!

こんな配置で釜石に停泊。フォルクローロの展望デッキより。

 

 

釜石駅:当日

翌朝。朝風呂上がりにホテルの展望デッキに出てみたら、機関車が動きそう!カメラを持って駅横、「シープラザ釜石」裏の通路へ向かいます。ここからは駅構内がよく見えるのです。

連結作業は8時40分~50分頃に行われるようです。蒸気機関車はもう動き始めていました。誘導されながらゆっくりゆっくり、バック進行で客車の前へ。

多くのギャラリーが見守るなか、ゆっくりとSLがバックしてきた。

そして連結!!

これで準備万端です。スッキリ編成写真。

今日の編成が完成しました。この瞬間を見ようと、傘が必要なほどの雨の中もそれなりに人が集まり、写真や動画を撮っています。乗る前からさっそく楽しいぞ!

 

 

釜石駅は、改札が列車発車の15~30分前に始まるシステム。

SL銀河は9:57分発なので、27分から改札だよ、と駅員さん。じゃあ20分ごろに行って待ってるかあ、と、連結作業を眺めたあと部屋へ戻り、のんびりチェックアウトして駅についたら、既にすごい人だかり。

あふれる旅行者の中、車内で売るお弁当の宣伝や、途中停車する遠野駅の観光案内が飛び交います。フォルクローロでニューデイズの割引券をもらいましたが、ちょっと混んでてそれどころでない。

もう並び始めてるぞ

いやいや、全車指定席なので急ぐ必要もないでしょう… ということもなく。お弁当が個数限定だったり、車内にあるプラネタリウム(!)の整理券数限られていたりするのだ。プラネタリウムはどうしても見たかったので、形成された列に加わる。

 

時間になり、改札が始まった。きっぷを見せて駅構内へ… あれ、隣の窓から駅員さんが呼んでいる、と思ったら袋を渡された。

たべないでください

「記念品の石炭です」そんなことある!? 早速面白いプレゼントです。袋には入っていますが、ズボンのポケットに入れっぱなしにしておいたら、空いた穴から粉が出てきてしまいました。とりあえず手持ちのジップロックに入れて保管。

 

ホームはもう結構な人だかり。

とりあえず自分の席へ向かって大きな荷物を置き、そのあと無事に車内プラネタリウムの整理券を確保して一安心。

早速先頭では撮影タイム。

SL銀河は機関車1両と客車4両で走り、私は3号車。折角なので、一通り車内や車外を見て回ることにします。

 

 

「SL銀河」編成概観

今日の花巻行、編成は下記のとおりです。

C58-239キハ142-701キサハ144-702キサハ144-701キハ143-701

 

列車の主役たる蒸気機関車、C58-239。3動輪のテンダー機関車です。青色のナンバープレートが特徴的で良いですね。

客車やヘッドマークの青金カラーと合わせたようなナンバープレート、素敵。

もともと盛岡市内の公園に置かれていたものを、走れる状態までレストアたそうで、よくやったものだな~と思います。運転台の横には7月らしく、笹の葉と短冊。そうか、七夕かあ。「銀河」だけになかなか良いチョイスですし、この列車が今後も運行されますように…とお願いも書かれていて、これはぜひ叶えてほしいな。

サイドビュウ

たくさんの配管がホンモノの証。

客車はグラデーションがかった青色に、黄色と金で宮沢賢治銀河鉄道の夜」モチーフの柄があしらわれた4両編成。

じつは自走できる

金色のエンブレムと星座のモチーフが美しい。

 

車内は木の多く暖かいレトロ調で、観光列車だなあ~~という雰囲気。窓に合わせてボックスシートが並ぶのは「汽車旅」の雰囲気を盛り上げる。

1号車にはプラネタリウム、4号車には大きなソファと売店スペースがあるので、実際にお客さんが乗れるのは3両編成分くらいだろうか。各所には宮沢賢治にまつわる展示もされていて、結構見応えがある。

ソファスペース。革張りだ!いわゆる「ロングシート」なのだが、ここまで優雅なロングシートがあるだろうか。

売店。置かれているナンバープレート「D51 498」は高崎で動態保存されてる機関車ですね。釜石線を走ったことがあります。

コンセプトアートの展示もあり、見入ってしまいます。冊子化されないかな、こういうの。

南部鉄器の鉄瓶もSL銀河カラー。こんな色付けもできるんですね。

車端部はこんな感じでギャラリーになっています。

 

ボックスシートは2人がけが向かい合わせで、4人定員。なんというか結構な狭さだし、窓側は暖房の吹き出し口?があって脚にぶつかる。ちょっと窮屈だ。でも、これ昔地元で走ってた115系電車とか、こういう狭さだったな。その辺も含めて汽車旅らしさ、と割り切って乗ろう。

窓上のステンドグラスがイカ

あしもとはかなり狭い。なんか出っ張ってるし。

花巻ゆきは数字問わずD席が進行方向になるが、僕が予約したのはA席で後ろ向きになる。ボックス席を陸中大橋までは2人で、その先は3人で乗り合わせての旅となったが、D席に結局人は来なかった。進行方向窓側、その席が一番アタリなのに!

 

指定席ではない部分にもいくつか椅子があり、こっちに座っている人もいた。なにせボックスシートに大人4人では結構ギュウギュウ詰めになるし、ある種避難所の役割もあるのか。

ソファスペース

 

ちなみに客車、というか、正確にはこれは無動力の客車ではなく、自走できるディーゼルカー。JRも一応客車とは案内せず「旅客車」と呼んでいる。

しっかり運転席がついている

のりばの「PDC」は、Passenger Diesel Carの略かな。客車改造気動車がこう呼ばれます。

もともと北海道の学園都市線札沼線)などで走っていた車両で、キハ141という形式。SL銀河用に改造されたので、今はキハ141-700番台を名乗っている。北海道にいたからか窓も2重窓、で、最初内窓も締めてたので、あれ?なんかヘン?と違和感。(とりあえず内窓だけ開けた)

2人でがっちり

ディーゼルカーなのは、釜石線の峠越えがめちゃくちゃ急勾配で、今の安全基準や出力を考えると、SLだけじゃ登れないから、らしい。SL銀河以前に運転されていた臨時SL列車では、ディーゼル機関車を2両余計に繋いでなんとか走っていたとか、そういうレベルの山岳路線なのだ。

 

もっとも、もともとキハ141系自体が50系客車という客車を改造したモノなので、機関車に引かれる姿は違和感がない、のかも。真岡鐵道とか50系客車のSL列車があるし。

まんなかの「キサハ」はエンジンなし。客車にエンジンを付けて改造した気動車のうちエンジンがないグループ、という、客車なんだか気動車なんだか…

ただ、ディーゼルカーなので結構エンジンがうるさく、蒸気機関車の音がなかなか聞こえてこない、というのはちょっと残念かもしれない。汽笛はよく聞こえるのだけれど、シュッシュッというドラフト音まではあまり分からなかった。

 

 

釜石→花巻

9時57分、雨の中。お見送りとともに駅を出た汽車は、細長い釜石の市街地に沿って進む。手を降ってくれる人が本当に多い。踏切まちの人、庭先の人、駅でカメラを構えていた人、家の窓から手だけを出してる人… なんというか、愛されているなあと、観光列車にのっていてほっこりする瞬間。

 

市街地の駅はすべて通過するが、見に来ている人がちらほらいたり。

小佐野・松倉・洞泉と、ここまでの駅はすべて通過して、市街地が終わり山が近くなってくるともうすぐ陸中大橋

緑に映えるトラス橋

進行方向左手を御覧ください、と言われて待ち構えていると、はるか上に大きな赤い鉄橋、鬼ヶ沢橋梁が見える。あそこに線路が通っていて、ここからが名高い釜石線オメガループ。これからあの橋まで、ヘアピンの形に180度曲がった線路で高度を稼いで登っていくのだ。よくやるよな…。

 

陸中大橋駅には10時29分着。11分ほど停車する。

際の際まで山に近づいた

駅自体はとても簡素で、駅舎もなくアーチ状のゲートがあるだけだけ。一方で、山側にある大きな建造物がとても目を引く。ホッパーというやつで、鉱山の駅だったことを偲ばせる。上の方に観光看板がついているのが、平成を感じるというか…。

昔は駅舎があったらしい

かつては陸中大橋駅前まで製鉄所の社宅が広がっていて、この駅も大きな駅舎があったようだ。今でも駅前の郵便局は結構大きい。

もうすぐ列車がくるから注意するように、と案内が入る。オメガループを下ってきた快速はまゆり号がゆっくりと入線し、そのまま通過していった。かつての急行は停車していたそうだけれど、今の快速は通過なのか…。

ありゃま、いっちゃった

10時40分に汽車は出発。ここからは本格的に山に挑む。陸中大橋駅を出てすぐトンネルに突入し、そのままぐるっと180度向きを変える。

ここがあのオメガループ、でもトンネルの中なのであまりよくわからないな、と思っていると外に出て、眼科に先程まで走ってきた谷と線路が見える。もうさっきの赤い橋の上にいるようだ。

こんなに上ったの!?

その後更に線路は右に90度まがって、長さ2975mの土倉トンネルへ。

このトンネルが開通した1950年までは、割り切って、峠の区間は線路を敷いていなかった。旅客は徒歩や駕籠(!?)、貨物はロープウェイで運んだらしい。釜石線が全通し1本につながってからは急行列車が行き交い、いまや隣を高速道路が直線的に通り抜けている。交通の進歩というのは凄いものだ。

 

トンネルが多いので窓は閉めるように、という放送が入っていたが、それでも隙間や空調から煙が入ってきて、車内はどことなく煙たくなる。

煙っくさい車内

3km弱、長い長い闇が続く。トンネルを出た一瞬に車窓は明るくなり、少し遅れてから煙が晴れて景色が見えてくる。そうか、これが蒸気時代の車窓というものか。

土倉トンネルを抜けると上有住駅。10時58分着、ここでも5分停車。

コケのついた縦書き駅名標は蒸気とよく似合う。

峠を超えたらすっかり晴れてきた! 駅につくたびに先頭は大賑わい。

駅は少し高いところにあり、展望台のようになっている。集落はもう少し下にあるようだ。駅チカ洞窟”滝観洞”もあるらしく、気になるが、流石に見に行く時間はない。

 

上有住を出るとまたトンネルで、お次の足ヶ瀬でもドアは開かないが停車。ここまでの駅でもそうだったが、SLの整備のためちょくちょく停止しているようだ。さすがに山岳路線で、こまめに手入れをしながら丁寧に丁寧に走っていかねばならないらしい。

念入りな整備を各駅で行う。

足ヶ瀬で山岳区間は終わり、隣の平倉をすぎると景色が開ける。遠野盆地に入った。

畑地が広がり、近くに山、広がる空、木々の緑、のびやかな夏の景色。大きな農家が多い。線路際すぐに牧場があり、牛が放されているのがみえて少し驚く。牛の方は慣れているのか特に驚きもせず、牧草を喰んでいた。

線路際に牧場がいくつかある。また曇ってきたな。

早瀬川を渡って山際を回り込むと、もう遠野駅だ。

 

遠野駅

遠野には11時46分から13時53分まで、2時間近く停車。ちょうどお昼時だし、観光も兼ねて市内でご飯食べてきてくださいね、という感じかな。

折角なので私も観光に…の前に、蒸気機関車の方に向かう。この駅でガッツリメンテナンスを行うようで、機関車が切り離された。そのまま走り、ホームの先端より少し先に止まる。早速人だかりができている。

旅客車側から機関車を眺める。ホームの少し先に止まって作業中。

カマに火を焚き、水を沸騰させて走るには、大量の石炭と水が欠かせない。線路際の消火栓からホースを繋ぎ給水、作業員さんは炭水車の上に登って石炭を崩している。

なかなか見られない光景、みんな動画に収めていた。

消火栓のホースから給水するらしい。炭水車の上では作業員さんが石炭の山を崩している。

足回りの点検もしっかり

客車の顔はだいぶ煤けている

 

ずっと見ていられるが、しかし遠野は初めてなので歩いてみたい。ある程度で切り上げて、人気がすっかり引いたホームから遠野市内観光へ向かう。

みどりの窓口がいまだ健在。急行券、寝台券、なんて表記があり、かなり昔に書かれたものだろうか。窓口の上にはSL銀河の先代「SL銀河ドリーム号」の写真が。

ちなみに、釜石~花巻/新花巻で切符を買うと、距離が100kmに満たず、遠野駅では途中下車できなくなってしまう落とし穴がある。釜石~遠野、遠野~花巻で別々に買っておくと安心です。自分は盛岡まで切符を買っていたので、普通に途中下車しました。

たださすがに、2時間車内待機というのもキツそう…で、実際”お目こぼし”があるのか…?観察しておけばよかった。

 

市内でご飯(ジンギスカン丼!)を食べたり、市立博物館を見学したりして過ごします。流石に、カッパ淵や遠野ふるさと村あたり、有名所は遠すぎていけませんでした。また遠野、こないとな。

「肉を食う」といえばジンギスカンを指すらしい遠野。創作料理としてジンギスカンキムチ丼を出している店があり、そこでお昼。この羊っくさい風味よ!ホント好き。

展望台から遠野市内を一望

2時間は思いの外あっという間に過ぎ去り、遠野駅に戻ります。列車の度は乗りっぱなしになりがちなので、こういう途中下車観光ができるスタイルは良いですね。

 

プラネタリウムへ!

13時53分、遠野駅を出発。出発後しばらくして、整理券に書かれたプラネタリウムの上映時間がくる。それまで車内を見学ししつつ待ちます。

出発前にゲットした整理券を持って向かいます。降りる駅によって配慮があるようです。

頃合いをみてプラネタリウム前で待機し、時間が来たら整理券を渡し、部屋の中へ。小さな倉庫くらいのサイズの部屋で、丸い椅子が感覚をあけて5脚。けっこう空間には余裕があります。

一時期は上映自体を中止していたようですが、今でも密を避けるため、定員を減らしてるんでしょうね。

車内だとけっこうスペースをとってます。

室内の写真はNGでしたが(やはりプラネタリウムだからか)真ん中の台に小型の投影装置が置かれてました。これが結構本格的で、天井いっぱいに満点の星空を出現させます。

気分は夜汽車

暗くなり、上映が始まります。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、物語に絡めて星座の解説が入ります。真っ暗な中、星がきらめき、体にガタゴトと揺れが伝わり、先頭の機関車から汽笛が聞こえてきて… 

すごく没入できる環境でした。10分間の宇宙の旅、他では得難いものです。これはみんな体験してほしいし、なんなら色々な観光列車でやってほしい。

前にちゃんと読んだのはいつだっけ。

そういえば、話が「どこまでもどこまでも旅してゆこう」で終わったからこれ、カンパネルラと一緒に行ったままジョバンニ帰ってきてないのでは…などと思考が重箱の角を突き始めますが、深く考えずに席に戻りましょうか。

 

遠野→花巻

少し時間を巻き戻します。遠野を起った列車は、またしばらく盆地の中を走ります。途中横をかすめる道の駅に大勢のギャラリーが詰め掛け、手を振ってくれました。

道の駅 遠野・風の丘・永遠の日本のふるさと より手振り。情報量が多い名前だ。

最後尾から遠野盆地を眺める。

 

盆地が果て、また少し山際を走り、次の停車駅は宮守。

駅手前には有名な撮影スポット、宮守川橋梁があります。めがね橋と呼ばれる、美しい連続アーチ橋だけれど、まあこういうのは乗っているとわかりません。橋を渡る際、左側の車窓からたくさんの人が手を降っているのが見えました。

 

宮守駅へ到着、14時26分。ここでも7分ほど止まり、機関車の整備を行います。

折角なので先頭までいってみると、このあたりのホームは砂利敷で草が生えていて、なんだか鄙びて良い雰囲気です。

またすっかり晴れて、空が広い!

良くないですかこの駅

この頃から旅の終わりまで、すっきりと夏空でした。

 

列車は猿ヶ石川に沿って走り、国道283号線とも並走します。夏らしい青い田んぼと山々を背景に、車の後部座席から手を振る子供たち、夏の思い出ができる瞬間。

「夏」をゆく銀河

列車は北上高地から北上盆地へ、遠野市から花巻市へ。土沢駅には14時53分着。土沢駅の停車時間は3分と短いので、ホームに行くことはせず、少しだけ窓から写真撮影。

土沢

発車して土沢の街を抜けると、また初夏の中を走ってゆきます。盆地の中、起伏がありつつ拓けていて、なだらかに段々畑が広がります。

概念としての北国の夏

車窓をどう切り取っても絵になるのは本当にズルい。

 

まだまだ乗っていたいけれど、もう新花巻駅。大きな建物は東北新幹線の止まるホームで、釜石線はその下の控えめなホームに停車。15時6分着。

巨大!!!航空写真を見たら駐車場とレンタカーと食堂しかなかった。

ここで降りる人も多い。そのまま15時20分の新幹線やまびこ66号に乗れば、東京には18時4分に帰りつける。

 

一方で、ちょっと驚いたけれど、ここから乗ってくる人もいる。近くの席に家族連れが座り、さっそく車内を探検していた。

そうか、人気列車で満員の日も多いけれど、こういった短距離乗車ならまだ可能性があるのか。乗れるのが11分だけだとしても、例えば観覧車に乗るようなものと考えればアリかもしれない。車両自体が魅力的だし、チョイ乗りでもよい思い出になりそう。

普通に乗ろうとするとやはり満員…。が、遠野まで・からだともう少し空きがあるのか。

 

新花巻を出てすぐに大きな北上川を渡り、花巻の街が見えてくる。

北上川を渡る

花巻の市街地へ…

大きくカーブした線路は東北本線と合流して、いよいよ終点の花巻駅。駅舎のある1番線に到着した。15時19分着。

釜石を出てから5時間22分ほどかかったけれど、途中で2時間の遠野駅観光があったから、さほど長旅という感じもしない。

 

花巻駅

混み合うホームを避けて、反対側のホームから写真を撮ったり、駅舎を見学したりして過ごす。入場券を買ってSLを見ようとする人もいて、なかなか活気のある駅となった。

跨線橋から。この画角好き。

跨線橋を渡ったホームより。ロープを気にしなければ、すっきりした編成写真が撮れる。

SLを見に来る家族連れも多かった。

 

むすび

客車の老朽化で廃止…というのが惜しいくらいに、良い旅でした。全体的に客車のインテリアが良すぎるし、車内プラネタリウムは没入感がすごい…。乗っておけて本当に良かったです。

沿線の見どころも多いし、蒸気機関車もせっかく復活させたので、なんとか代替車両で運行が継続されないかなあ…と切に願っています。

またね。